ホットハッチの火は消さない

 SUVが全盛の今、ホットハッチの存在感はやや薄れてしまっている。

執筆陣の1人、今尾直樹氏は言う。
「ホットハッチはプアマンズ・スポーツカーなのですよ」と。

なるほど、そうなのだ。

基本として実用性とスポーティブネスを兼ね備えているのがホットハッチ。

お金があるなら2ドアのバリバリのスポーツカーを買えばいい。

ホットハッチは私たち”普通の人”にとってなくてはならない愛すべきクルマなのだ。

■VWゴルフGTI

 「ホットハッチ」という概念は、フォルクスワーゲン・ゴルフGTI以降にイギリスで生まれた。そもそも1974年に登場した初代ゴルフ以前、ゴルフみたいに比較的背が高くて、エンジン横置きの前輪駆動で、リアにハッチゲートをもつ小型車は、地球上に存在しなかった。

 なるほど、オリジナル・ミニはエンジン横置き前輪駆動という革新的なレイアウトで小型車に革命をもたらしたけれど、アレック・イシゴニスがレストランの紙ナプキンに描いたスケッチ画にリアゲートはなかった。ミニ・クーパーはつまり、速い小型車であるに過ぎなかった。

 初代ゴルフのスタイリングを手がけたジョルジェット・ジウジアーロは、ルノー16を参考にした。ただし、ルノー4を源流とする、このフランスの4ドア+リアゲートのハッチバックは、徹底的に実用な戦後フランスの典型的中型車だった(ようするにカッコ悪かった)。そこがいいんだけど。前輪駆動ではあったけれど、エンジンは縦置きで、全長4メートルをゆうに超えていた。

 エンジンは非力で、のちにパワーアップ版も出たけれど、高性能とまでは言えなかった。

 ゴルフGTI以前、ハッチバックをもつスポーティな小型車がなかったわけではない。たとえば、われらがホンダ・シビックRSは’74年の登場で、’76年に発表されたゴルフGTIに先んじていた。このほか、アウトビアンキA112やシムカ1100Ti、ルノー5アルピーヌといったFWD小型車の高性能版もあるにはあったが、イギリスでゴルフGTIのようには売れなかった。

 ゴルフGTIがそれ以外の小型車と大きく違っていたのは、「クラスレス」だったことだろう。お金持ちも、まぁホンモノのビンボー人はともかく、自動車を買えるほどの一定程度の所得のある人であれば、大学教授でもサラリーマンでも起業家でも、職業にかかわらず、老いも若きも、だれが乗っていても、「いいね!」と思われたのがゴルフGTIだった。1.6リッターのインジェクション・エンジンは最高出力110psで、最高速度182㎞/hを誇り、フォルクスワーゲンの表現を借りると、「小型車のスポーティさと、高級車の贅沢、ふたつの世界を」持っていた。

VW・Golf GTI(初代)

VW・Golf GTI(Ⅶ型)

VW・Golf R

Renault・16

■マンタ・ファーラー

 ちなみに、筆者が初代ゴルフGTIに初めて乗ったのは、このクルマの現役時代のことではなくて、ずっと後年の2004年、ゴルフVのGTIの国際試乗会でだった。ゴルフⅣのGTIは本来のGTIと呼ぶ性能を持っていなかったため、V型のそれは「復活」と表現された。でもって、初代GTIが撮影・試乗用として用意されていた。南仏マルセイユの近くの山道をドライブしながら、なんせ当時ですでに四半世紀近く前のオールド・カーだったけれど、なるほど、こういうものだったのか、と合点がいった。それはフォルクスワーゲンを磨き上げたアウディのような上質な小型車だったのだ。

 余談ながら、筆者は1991年にミュンヘンで開かれたゴルフⅢのプレス発表会で、当時流行っていたドイツのジョークを初めて聞いた(と記憶する)。「マンタ・ファーラー」、つまり〝オペル・マンタに乗る人〟の小噺である。

 マンタ・ファーラーはプロゴルファーのジャンボ尾崎とかプロレスラーの天山広吉みたいに短髪だけど後ろだけ長くしている髪型で、ようするにドイツのヤンキーなんですね。ある日、マンタ・ファーラーが信号待ちしていると、横断歩道をペンギンが渡っていた。隣のレーンに並んでいたゴルフGTIのドライバーが窓を開けて、「迷子ですね。かわいそうだから動物園に連れて行ってあげてください。私はいまから用事があって行けないので」とマンタ・ファーラーに頼んだ。「わかった!」と言って彼はペンギンを乗せて走り去った。翌日、同じ信号で、たまたまくだんのゴルフGTIとマンタが赤信号で並んで止まった。ゴルフ・ファーラーがふと見ると、マンタの助手席にペンギンが乗っている。あれ? 動物園に連れて行かなかったのか、と尋ねると、マンタ・ファーラーが答えた。「動物園は昨日行ったから、今日は遊園地に連れて行くんだ」

 後輪駆動+クーペのマンタに対して、前輪駆動+ハッチバックのゴルフGTIは知性の代表とされた、ということをお伝えしたかった。

■プジョー205GTI

 「ホットハッチ」ということばが日本で広まったのは、筆者の記憶によると80年代後半のことで、筆者個人の印象でしかないかもしれないけれど、プジョー205GTIを指していたように思う。クールなゴルフGTIに対して、1983年に欧州で発表され、日本には’86年にやってきた205GTIはそれこそホットなハッチバックだった。アクセル・レスポンスがビンビンで、スーパーボールが弾けるようにカッ飛んだ。

 ウィキペディアによると、「Hot hatch」なることばは、「Hothatchback」を縮めたもので、1980年代にイギリスで広まったとされる。初期の使用例は、なんと、クリックして初めて知ったのだけれど、1984年にプジョー205GTIをテストした英誌「Motor」の記事だった。
 もしいま、「ホットハッチ」なるものの火が消えそうに思えるのだとすれば、このことばが指していた対象であるところのプジョー205GTI(の後継モデル)の不在がポッカリ大きな空洞をつくっているからではあるまいか。

Honda・CIVIC RS

Honda・CIVIC TYPE R

Peugeot・205 GTI

MINI・cooperS “John Cooper Works Package”

 冷静になってみよう。ゴルフⅦ型のGTIに加えて、いまやRがあり、国内では限定だけど、ニュルブルクリンク最速FWDのホンダ・シビック・タイプRがあり、ルノー・メガーヌRR.S.がある。プジョー205GTIはないけれど、その後継である208GTi、さらに208GTi by プジョー・スポールなる「ピュアスポーツ」すらある。ちょっと下のクラスには正統派のスズキ・スイフト・スポーツ、変わりダネでは日産ノートeパワーNISMOとか、あるいはハッチを持つにいたったミニ・クーパーSのJCWなんてのがあり、後輪駆動で直6、340psのBMW M140iがあるかと思えば、メルセデスAMG A45 4MATICやアウディRS3、400ps(!)なんてのもある。ハッチバックは百花繚乱、80年代よりも咲き乱れている。

 だけど、なんか違うんだよなぁ……。

 80年代にあって、2017年のいま、ないもの。プジョー205GTIと、「自由・平等・博愛」。「ホットハッチ」ということばには、それが込められていたように思うのは私だけでしょうか。

文・今尾直樹

「ホットハッチの火は消さない」の続きは本誌で

ホットハッチとは? 今尾直樹
ボーイズレーサーよ、永遠に 橋本洋平
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ルノー・メガーヌ 世良耕太 / スズキ・スイフトスポーツ 桂 伸一


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