Another Sky クルマとSDGs

文・岡崎五朗

SDGs時代のクルマとは? と聞かれたら、「脱炭素・環境問題=100%EV化」を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。

この単純な図式化に警鐘を鳴らし続けるモータージャーナリストの岡崎五朗が、本当に持続可能な社会を叶えるクルマのあり方を問う。

 SDGsという言葉が流行っている。ルーツは’92年にリオデジャネイロで開催された地球サミットで採択された「持続可能な開発=Sustainable Development」。そこに「貧困をなくそう」とか、「ジェンダー平等を実現しよう」とか、「人や国の不平等をなくそう」といった17の目標=Goalsを加えて完成したのがSDGsである。17もあるからボヤけてしまうが、そんなわけでSDGsの核にあるのは持続可能な成長、すなわち環境と豊かさの折り合いをどう付けていくのかという問題である。そしてそれが、昨今の地球温暖化問題や脱炭素、EVにつながっている。

 クルマという商品は、一貫して自動車メーカーが進化させてきた。もちろんその背景にはユーザーニーズもあったが、それに合わせた商品を開発するという意味で主導権を握っていたのはいつの時代も自動車メーカーだった。しかし、地球温暖化問題はその力関係を根底から覆そうとしている。社会からの、かつてない強力な要請に自動車メーカーが振り回され、変化を強いられているからだ。これほど主導権が手の内にない戦いは初めてだろう。となれば当然混乱が生じる。100%EV化という話に多くの人、企業、政治家、国が魅了され、世論や政策がそっち方向にどっと流れていっている。たしかに100%再エネと100%EVが実現すれば万事解決である。しかし、それを目指そうとしたドイツはいま戦後最大のエネルギー危機に陥っている。ドイツの失敗は思ったより風が吹かなかったこととウクライナ戦争のせいだって? だったら貴方は思惑通りに風を吹かせることができるのですか? また世界から戦争をなくすことができるのですか? そういうことを含めての現実的なアプローチをしないと困ったことになることをドイツは示している。

 戦争が終わって風が十分吹いたとしても、1年間に世界で販売される1億台のバッテリー材料を確保するのは絶対に無理だ。コバルトフリーバッテリーや全固体バッテリーができたとしても、リチウムが圧倒的に足りない。実際、EVの増加によってリチウムの供給は逼迫し、価格はこの2年で14倍になった。富裕層が乗る高価格帯のクルマならまだしも、庶民が買えるクルマは確実になくなっていく。先進国が化石燃料を高値で買いあさった結果、買い負けた途上国の国民が困窮しているが、それと同じことがクルマでも起ころうとしている。脱炭素を強引に進めれば進めるほど、影響を受けるのは貧しい人、途上国の人々だ。

 SDGsの重要な理念に「誰一人取り残さない」がある。17の目標にも「貧困をなくそう」「飢餓をなくそう」「すべての人に健康と福祉を」とある。ちょっと待った。だとしたらそうならないような脱炭素政策を掲げなければおかしなことにならないか? やらなくていいと言ってるんじゃない。賢くやろうと言ってるのだ。たとえば比較的安価な石炭を日本の超高効率石炭発電所で活用する、またその技術を世界に輸出する。クルマであれば、EVの数十分の1のバッテリー量で燃費を劇的に改善するハイブリッド車を世界に普及させる。あるいはバッテリー量ゼロでも優れた燃費を叩きだす軽自動車を世界に輸出するのも有効な手段だろう。日本が占める二酸化炭素排出量は世界の3%。そこで頑張っても効果はたかが知れている。残り97%の国々に日本が誇る安価で使いやすい低炭素技術を輸出することが、日本が世界に貢献できる最大の方法だ。17色のカラフルなSDGsバッジを胸に付けて、これからはEVの時代だよねーなんてしたり顔で言ってる人は、まず間違いなくそこまで考えてない。やってる気になってるだけの残念な人である。


クルマとSDGs 岡崎五朗

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