モタスポ見聞録 Vol.31 公道レースの意味

文・写真 河野正士

「Auerberg Klassik/アウアーベルグ・クラシック」。2年に一度開催される、ビーンテージバイクを中心に、舗装した峠道で行われるタイムトライアル・ヒルクライム・レースだ。

 1967年から1987年までのあいだ、ドイツ・ミュンヘンからクルマで約2時間、オーストリアとの国境に近い街/ベルンボイレン村で毎年9月の第3日曜日に開催されていたこのレースは、約30年のインターバルを経て2017年に復活。以降2年毎の開催を目標に準備を進め、今年9月で復活後2回目の開催となった。

 かつて土曜日にバイク、日曜日に自動車のレースが行われていたが、復活後は1979年以前に生産されたバイクとサイドカーのみタイムを計測。自動車はデモランのみが行われた(といってもかなり本気度は高かったが…)。参加した車両は市販車はもちろん、かつてのファクトリーマシンも多数出場。年代と排気量によって5つのクラスに分けられ(サイドカーを入れると6クラス)、ゴール地点まで約3㎞のワインディングを全力で駆けた。

 復活の中心人物は、ベルンボイレンで生まれ育ち、年に1度のヒルクライムレースをお祭りのような存在に感じていた5人の男たち。彼らは成人してからもバイクやクルマの世界に、仕事や趣味として関わり続けてきた。そこで培った知識や人脈を活かし、子供の頃に当たり前にあった地元のお祭りを復活させようと考えたのだ。彼らに話を聞けば、地元の協力を得てヒルクライムレースを復活させられたことはとても光栄であり、エキサイティングなことだと熱っぽく語る。それを象徴するようにイベントを手伝うスタッフたちは地元の人たちであり、メイン会場となる街の中心はもちろんヒルクライムコース途中にいくつもある観戦ポイントに設置されたフードスペースには、ビールやバーガーとともに、ホームメイドのケーキ類が並び、それを手伝う子供たちも大勢居た。もちろん会場の至るところに老若男女が溢れ、女性だけのグループや子供たちだけのグループ、そして複数のファミリーがひとつになった大きなグループも数多く見かけることができた。タイム計測を終えて、山頂から一斉に降りてくるマシンを待っていたその人々は、みなライダーたちに満面の笑顔で手を振り、目を輝かせながら戦いを終えたマシンに群がる。

 いまモータースポーツのほとんどは、サーキットという限られた空間の中で行われ、エンターテインメントとして完全に構築されている。そこで戦うライダーやマシン、そしてそこでの出来事は、どこかよそよそしさが漂う。しかしかつてロードレースの多くは公道で行われていた。日常的な空間が、その期間だけ非日常となる。まさにお祭りだ。そして有名無名にかかわらず、そのような祭りが各所で行われていたに違いない。もしかしたらモータースポーツが日本の文化として発展して行くには、こういった祭りの存在が必要なのかもしれない。「Auerberg Klassik」を見て、そんなことを感じたのだった。

Tadashi Kohno

1986年高知県生まれ。二輪専門誌の編集部に在籍後、フリーランス。雑誌を中心にライター&エディターとして活動するほか、様々なコンテンツ制作にも関わっている。ヨーロッパで開催されるバイクイベントやカスタムシーンに対する造詣が深く、日本における分野の第一人者である。

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