特集 カッコイイを考える[徳大寺有恒とジャガーの関係性]

 カッコイイとは、宗教的な要素があるように思える。自分が信じるカッコイイを貫けば、どこかで幸福になれると信じているからだ。

 特に男性はカッコイイと信じた物や事に没頭すると、時に危険を冒し散財もする。

 しかし、カッコイイは、年齢や時代、さらに世代やその人の趣味によって大きく異なってくる。また自分がカッコイイと信じていることも、他人から見ればカッコ悪く見えることもある。カッコイイクルマ、カッコイイ運転、カッコイイ生き方とは何なのか。

 改めてカッコイイを考えてみたい。

徳大寺有恒とジャガーの関係性

 言うまでもないことだが、徳大寺有恒は無類のクルマ好きだった。フェラーリ、ポルシェ、メルセデス、ロールス、ベントレー、アストンマーティンなどなど、所有したクルマは数知れず。「自分のガレージに収めてみないとわからないことがある」なんて言ってたけれど、評論のためというよりは、好きで好きでたまらなくて、だから買っていたというのが本当のところだと思う。

 そんな徳大寺さんがもっとも愛したのがジャガーだ。世の中には数々の名車があるのに、間違いなくジャガーを一番愛していた。僕が知っているだけでもデイムラー・ダブルシックス、先代XK、フルレストアしたMK2の3台。きっと他にも所有していたと思う。なぜジャガーなのか。イギリス流のファッションが好きだったからクルマも? いやいや、そんな単純な話ではない。徳大寺さんはジャガーに自分の生き方を投影していたのだ。

 イギリスの片田舎でサイドカーを製造していたジャガー(当時の社名はスワロー・サイドカー・カンパニー)が初の乗用車を発売したのは1927年。しかしそれは大衆車にオリジナルのボディを架装しただけのもの。見た目がよく値段も安かったためそこそこの成功を収めたが、中身はといえば、当時すでに高級車として認められていたロールス・ロイスやベントレーとは比べものにならないものだった。しかしその後自前のエンジンやシャシーの開発を進め、ついには自国のライバルはもちろん、ル・マン24時間レースでメルセデスやポルシェをも打ち破るメーカーへと成長していく。

 「ジャガーの魅力っていうのは、出自の卑しさにあるんだよ。上流階級文化から生まれたロールスやベントレーは生まれながらにして名門だった。でもジャガーはそうじゃない。だからこそジャガーは本当の高級、本当の名門を目指すための努力を惜しまなかった。僕はジャガーのそんなところに惹かれるんだ」

 18世紀後半から19世紀に生まれた英国の新興富裕層は、貴族以上に貴族らしくあるために、自分自身に磨きをかける努力をした。それは、センスであり、人格であり、美意識であり、立ち居振る舞いである。そういったあくなき自分磨きの行為を「ダンディズム」と呼ぶ。それはまさに、サイドカー製造から身をおこし名門へと上り詰めたジャガーの姿そのものであり、水戸に生まれ大学進学のため上京してきた杉江博愛が、数々のコンプレックスや挫折と戦いながら、日本を代表する自動車評論家、徳大寺有恒へと上り詰めていった姿ともピタリと重なる(このあたりは『ぶ男に生まれて(集英社文庫)』に詳しい)。

 徳大寺さんはお洒落で、優しくて博識で、名文家で、批判精神があり、ウィットに富んだ巧みな話術をもつ人だった。だからこそ富と名声を得たのだが、それ以前に、人間として抜群に魅力的な人だった。威厳と愛嬌をあれほど高次元で両立した人なんて他にはちょっといないのではないかと思う。ひと言でいえば、カッコいい人だった。

 名著、『ダンディートーク(自動車週報社)』のなかに、こんな記述がある。

 「ダンディズムとは、野暮から粋へ至るまでの、そのプロセスの中にあり、またプロセスの中にしかない。常に、いまだ中途半端な状態でしかないという意識が、逆に不断の緊張感を生み、美しい姿勢を保たせるからである」

 持って生まれた才能もあるだろう。けれど、徳大寺有恒の魅力の源泉は、常にダンディーたろうと努力を続けた生き方にこそある。直接話を聞くことはもうできないけれど、その生き方を学ぶことはいつからだってスタートできる。

文・岡崎五朗 Goro Okazaki/写真・渕本智信

『ぶ男に生まれて』(集英社文庫)

徳大寺有恒(とくだいじ・ありつね)

1939年、東京に生まれる。成城大学卒業後、レーシングドライバーや自動車用品会社の設立、ライターなどを経て、自動車評論家へと転身。1976年に発表した「間違いだらけのクルマ選び」(草思社)は、当時タブーとされていた国産メーカーのものづくりを辛辣に批評し、日本のクルマ社会に一大センセーショナルを巻き起こす。マニアだけではなく広く一般の読者にも支持される大ベストセラーとなり、“消費者サイドに立脚した自動車論評家”としての揺るぎない地位を確立。その後も、コストや販売台数などを優先するメーカーを一貫して批判し、魅力あるクルマづくりを訴え続けた。また、クルマを“モノ”としてだけではなく、社会や文化、哲学、ライフスタイルなどと絡めて語る先駆者であった。葉巻と酒などクルマ以外の文化への造詣も深く、男のカッコいい生き方にこだわった。2014年11月7日逝去。

「特集 カッコイイを考える」の続きは本誌で

徳大寺有恒とジャガーの関係性
岡崎五朗 Goro Okazaki

サイドシートから見る男の本質
松本 葉 Yo Matsumoto

カッコイイを求めない世代
岡崎心太朗 Shintaro Okazaki

カッコイイクルマは乗り手によって作られる
小沢コージ Koji Ozawa


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