おしゃべりなクルマたち vol.70 不可思議ニッポンのMT

  些不定期だが、ピエールさんに日本語を教えている。いや、フランス語を習っている、こちらが正しい。当地に住み始めてすぐ、6ヵ月の仏語集中講座を受講した。

  コースが終了する直前、講師を務めた女性に、主人が日本語を習いたがっているのだけど、エクスチェンジのつもりでどう? こう誘われて始めたことだった。あれから14年。私の仏語は相変わらず亀の歩みを続けるが、彼の日本語は驚異的な進歩を遂げ、今では「アタシ、まだまだイケてます」などと言う。ピエールさん、75歳。これはマズいと時折、反省する。

  彼の語学習得方法は独特で、まず会話集を1冊、覚えこむ。次に辞書片手に覚えたフレーズの名詞、動詞、形容詞を代え片っ端から暗記する。ここまでは独りで2年ほど掛ける様子だ。その後、エクスチェンジの相手を見つけ無料レッスンを始めるが、テーマを決めての会話が主体。ロシア語からトルコ語まで7ヵ国語をこの方法で習得したという。

  たとえば、最近のレッスンでは「ニホンでは今やMT車はわざわざ乗るものになっているのですが、どう思います?」、こんな話をした。実はこれはある自動車雑誌の編集者から教えられ、私が仰天したことで、欧州でMTが好まれる理由を原稿にしながらどうしてこういうことになったのか、不思議でたまらなかった。それでピエールさんにふることにしたのである。

  「また、<不可思議ニッポン>の一面を見たな」 まずは彼がこう言った。いい忘れたがピエールさんは元料理人、それもあって私はよく彼と料理の話をする。寿司や天ぷらではない。チンのフル活用、ビニール袋を使った調理、キャラ弁などなど。「脱原発を求めながら20分、電子レンジを使う。ゴミを減らそうと野菜の皮を上手に調理するのにビニール袋が楽ですって、矛盾してません?」、ピエールさんは不思議がる。ちなみにキャラ弁についてはこう言った。「ダツボーよ、脱帽」楽を求めているのか、新しいことが好きなのか「オジサンにはわかりません」、これがいつもピエールさんの結論なのだが、あなたはどう思いますか? と尋ねられるたび、答えに詰まる。なぜって、私はカスタードクリームがチンで作れると聞けば試し、ビニール袋調理方法を知ればその手があったかと感心する人間だから。

  「MTってそんなに不便? キャラ弁を作れるヒトに難しいとは言わせないよ。だいたい、日本人は浜辺でぼーっとしないでしょ。なんで運転だけぼーっとしたいの? ATはアクセル踏んでるだけって、これ、現状維持ですよ。日本人らしくない。ゴハンを炊飯器を捨ててルクルーゼで炊くなら、マニュアルに回帰しそうなものです。なんか運転だけ手を抜きますね」

  こう言ったピエールさんは「今度はあなたの意見を」と私を見る。意見がないからあなたにふった、こう答えるわけにもいかず、私は時間稼ぎのつもりで言ったのだった。「手を抜くは手抜き、いや、ズボラと言うと今っぽいと思います」

文・松本 葉
イラスト・武政 諒
提供・ピアッジオ グループ ジャパン

Yo Matsumoto

コラムニスト。鎌倉生まれ鎌倉育ち。『NAVI』(二玄社)の編集者を経て、80年代の終わりに、単身イタリアへ渡る。イタリア在住中に、クルマのデザイナーであるご主人と出会い、現在は南仏で、一男一女の子育てと執筆活動に勤しんでいる。著書:『愛しのティーナ』『どこにいたってフツウの生活』(二玄社)など。

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