究極のロータリーバイク クライトン CR700W

文・宮崎健太郎

世界GP黎明期以降、英国製ロードレーサーは欧州車や日本車に対して、常に“アンダードッグ”的な立場にあった。

 散発的に国際イベントで英国車が栄光に浴する例もあったが、英国2輪産業衰退期の1970年代には強大な日本車勢に欧州車勢が挑むという構図がすっかり出来上がり、英国勢は蚊帳の外の存在になっていた。愛国者的な英国のロードレースファンにとって、“冬”のような状況は今日も変わりはないが、1988~1994年の間は、限定的ではあるものの、彼らの鬱憤が晴れた時代になった。

 今でも多くの、英国のロードレースファンの語種となっている「伝説」の主役は、ブライアン・クライトンというひとりのエンジニアだ。1984年にノートンに加入したクライトンは、当時同社が製造していたポリス向けバイクの空冷2ローター588㏄エンジンの可能性を見出し、自由時間の中でロータリーレーサーの開発に取り組んだ。そして完成したRC588試作車の高性能ぶりに気を良くした社の上層部は、彼の「自由研究」を正式なプロジェクトへ格上げさせることを決定した。

 空冷RC588の後継である水冷RCW588は、英国選手権でホンダRC30などの強力なライバルを相手に、タイトル獲得など目覚ましい活躍を見せた。なかでもノートン・ロータリーのレース史のハイライトは、ノートンに1973年以来となるマン島TT勝利をもたらした、1992年のセニアクラス制覇という偉業だろう。

 ノートン・ロータリーのレースキャンペーン終了後も、クライトンはロータリーの可能性を追求し続けた。2・4輪ファンの多くは、いまさらロータリーエンジンに未来があるのか、と疑問を覚えるかもしれない。だが2009年よりクライトンとパートナーシップを結んだ英ロトロン・パワー社は、ドローン、無人および有人飛行機、そして発電用の動力としてのロータリーエンジンを開発し、それぞれの分野で高い評価を得ることに成功している。もっとも今日、2輪分野におけるロータリーエンジンの発展を期待する人の数は極めて少ないだろう。しかしクライトンは一切の疑念を挟むことなく、彼の理想の追求を止めることはなかった。

 その結実が、先日公開されたCR700Wだ。2013年に試作されたCR700P同様、RCW588の62㎜から、ハウジング幅を88㎜に拡張した690㏄ツインローターを搭載。中間部を狭くすることで、機関幅は3㎜増に抑制。ギアボックスなどを組み合わせた状態でも46㎏という軽さにおさまっているのは、ロータリーエンジンのシンプルさゆえだ。最高出力、最大トルクはともに発生回転数が一般的な4ストローク高性能エンジンより低めに設定されている。このことが、耐久性にプラスにはたらいていることは言うまでもない。

クライトン CR700W

車両本体価格:£85,000(英国現地価格)
エンジン:水冷ロータリー(ヴァンケル)並列2ローター
排気量:690cc
車両重量(乾燥):129.5kg
最高出力:220PS/10,500rpm
最大トルク:14.5kgm/9,500rpm
*画像はクライトン・モーターサイクルHPより出典

 排気ガスの流れを有効活用するのはノートン時代からのクライトンお気に入りの手法だが、CR700Wでは排気脈動を冷却に活用するというアイデアを採用。なおロータリーエンジンはピストンやコンロッドがないため、メインベアリングに多くの熱が伝達される。その対策として、CR700Wはエキセントリックシャフト内を水冷する方式を採用。またオイルやガスによる潤滑に頼らずとも、高いシール性と耐摩耗性を発揮する窒化珪素セラミック材を新たに導入している。車体は、押し出しアルミビーム材のツインチューブフレームとスイングアームを採用。乾燥重量は129.5㎏という軽さであり、驚異的なパワーウェイトレシオを実現している。サスペンションはオーナーの要望に応じオーリンズ、またはビチューボ製品のどちらかを選択することが可能。ディスクブレーキは、ブレンボのレース・スペックを装着している。

 リッターあたり319馬力のCR700Wについて、クライトンは「私のキャリアの集大成」と胸を張る。その価格は8万5,000ポンド(約1,300万円)と決して安くはないが、彼のエンジニアとしての人生と、情熱のすべてを盛り込んだ芸術作品の価格と思えば、決して高いものではないだろう。

 早速マン島TTファンの間では、平均217.989㎞/hのTTコース記録(2018年)を破るのは、このマシンの他にはない、と息巻く声が響いている。ただ、気になることに、このマシンのスペックシートには、電子制御に関する記述はない。現代のロードレースでは、電子制御が必須の技術として定着して久しい。もしCR700Wが一切の電子制御を備えない場合、このモンスターバイクを限界付近で御すのは、乗り手には厳しい試練になるだろう。ただ、多くの愛国者的ファンがCR700Wの活躍を夢想するのは、心情的に理解できる。そして私もまた、TTコースで久々に栄光を掴み取る英国車を見たい、というロマンを頭の中で膨らませるひとりである。


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