アメリカの現在・過去・未来 Vol.1 シボレーコルベットにかける想い

1953年に登場したアメリカン・ドリームの象徴といえるシボレーコルベットがミドシップとなって生まれ変わった。

コルベットの進化はアメリカにとって何を意味するのか。アフタートランプ、アフターコロナが叫ばれる中、アメリカの価値感が大きく変わろうとしている。

ゼネラルモーターズ・ジャパン社長
若松 ただし インタビュー

文・まるも亜希子

これからのアメリカが
富士スピードウェイから始まった

 5月29日に富士スピードウェイで開催された「オールニュー コルベット プライベート プレビュー」において、新型コルベットC8の走行シーンが日本で初めて公開された。本来なら観客の歓声に包まれるはずだったが、コロナの影響により、無観客&ライブ配信に変更を余儀なくされた。しかしインパクトは鮮烈だった。多くの人が、その姿からコルベット新時代の幕開けを感じるとともに、新しいアメリカの強いメッセージを受け取ったのではないだろうか。コルベット史上最大の衝撃作と注目されるC8は、ミドシップレイアウトを採用し、日本はもちろん、世界でも爆発的な人気となっており、現在は供給が追いつかないほどだという。そして日本仕様は、コルベット初の右ハンドルとなる。GMジャパンの若松 ただし 社長は、「右ハンドルのコルベットは、グローバルでより多くの人に乗ってもらいたいという、新しいアメリカのメッセージでもあるのです」と語った。幼少期をアメリカで過ごし、当時からコルベットに乗ることが夢だったという若松さんとともに、アメリカという国の過去や未来と、新型コルベットに流れるアメリカンスピリッツを紐解いていきたい。

アメリカのクルマが輝いていた60年代後半

 1968年。アメリカが平和と公正、人権を求めて大きく揺れていたその年に、2歳の若松さんはジャーナリストの父の赴任先となったワシントンD.C.へ家族とともに渡った。1ドル360円という時代である。コルベットは3世代目のC3が登場。カマロ、ダッジチャージャー、マスタングにトランザムファイヤーバードと名だたるクルマたちが街を彩っていた。

 「当時スポーツカーは輝いていましたね。中でも、ひときわカッコよかったのがコルベットでした。その頃から、夢はいつかコルベットに乗ることで色は黄色と決めていました」

 若松さんだけでなく、多くのアメリカの子供たちが同じ夢を見ていたという。それは1969年7月、「アポロ11号」の月面着陸に世界が湧いた歴史的な出来事と無関係ではない。一躍、子供たちのスターとなった宇宙飛行士が、コルベットに乗っていたのである。世界一の自動車大国で、クルマが羨望の的となる興奮を肌で感じてきたことは、人生を左右するに値する貴重な体験だった。しかしその影でアメリカは経済不況に苦しみ、GM、フォード、クライスラーのビッグスリーは日本車の進出に戦々恐々としていた。その一方で女性たちはウーマン・リブで社会進出を果たしている。まさに激動のアメリカがそこにあった。

日本のモータリゼーションと
スーパーカーブーム

 その頃の日本を振り返ると、高度経済成長の波に乗り、1969年に東名高速道路が全線開通し、マイカーブームが加速。カローラやサニーが発売され、庶民がクルマを所有する時代がやってきていた。日本の自動車メーカーからも数々の名車が誕生する。ハコスカ(’68年)、ケンメリ(’73年)といったスカイラインが人気を博したのもこの頃である。ブリヂストンのCMソングとなった、小林亜星さん作詞・作曲の『どこまでも行こう』を老若男女が口ずさみ、日本の暮らしにも経済発展にも、クルマが欠かせない存在となっていた。そんな中、若松さんは1974年に8歳で帰国。すると日本ではスーパーカーブームが待ち受けていた。漫画『サーキットの狼』を発端として、少年たちを虜にしたのはランボルギーニ カウンタックやミウラ、フェラーリ BBやディーノといった、ヨーロッパのスーパーカーたちだった。コルベットへの夢を抱きつつも、学校で友達とスーパーカー消しゴムでレースをして遊んでいたという。

アメリカを象徴する一貫した
思想のコルベット

 それから数年が経ち、若松さんは青年となったが、幼い日に夢見たコルベットはしっかりと輝き続けていた。アメリカが冷戦の時代を終えた1989年、創業当時からGMのクルマたちを日本で販売していたヤナセに入社。初めて買ったのは、カマロのコンバーチブルだったが、ついに若松さんは夢を叶える。1995年、4世代目となっていたコルベットを手に入れたのだ。ボディカラーはもちろん黄色にした。

 当時アメリカは、湾岸戦争に勝利して世界中に強いアメリカを誇示していた時期である。しかしアメリカは、様々な多様化を求められ、かつてのような勢いを失いつつあった。しかしコルベットは、姿形を変えながらも、アメリカらしさ、コルベットらしさを貫いていたという。

 「初めてドライブした時は全てが感動的でした。ドロドロとしたV8サウンドはもちろん、後部座席からハンドルを握るイメージのロングノーズは、幼い頃から憧れていたコルベットそのものでした。そこに座っただけでアメリカのクルマ独特の迫力が押し寄せてくる。排気量に余裕があるので高速道路を走っていても、ほぼアイドリング状態です。でもそこから追い越しなどで加速すると、ものすごいトルクが湧き出してくる。それを味わうのは本当に至福の時間です。自分は今、アメリカを象徴する最高のスポーツカーに乗っているんだという、底知れぬ感動に浸ることができるのです」

 その黄色いコルベットは、GMに入社して2004年に海外赴任が決まるまで、いつも若松さんと共にあった。別れる時に涙を流すほどの思い出の1台となる。そしてそのコルベットから多民族国家であるアメリカを教えてもらったという。

 「感銘を受けたのは、人に優しいということです。ヨーロッパでは元々クルマは高貴な人の乗りものだったかもしれませんが、アメリカは誰もがクルマがないと生活できない。力の弱い人でもエンジンが掛けれるようセルをつけるのも早かったのです。人種により体格がまるで違うので運転しやすいシートポジションが取れるよう、電動で無段階調整ができる機能をいち早く付けたのもアメリカ車です。コルベットのようなスポーツカーでも、乗る人を選ばず、そのクルマが楽しめるように作られているのです。改めてアメリカは多民族の国なのだと実感しました」

 2001年の9・11、2008年のリーマンショックを乗り越えてなお、コルベットはアメリカンスピリッツを守り通した。

若松 格 Tadashi Wakamatsu

1966年神奈川県生まれ。幼少期をアメリカで過ごした。慶應義塾大学法学部政治学科卒、英レスター大学経営学修士取得。’89年株式会社ヤナセGM事業部入社後、GMの様々な事業に参画。’00年にGMに入社。’16年からゼネラルモーターズ・ジャパン株式会社の代表取締役社長に就任。根っからのクルマ好きで広報車の慣らし運転も自ら行う。趣味は音楽で最近はギターを練習中である。
世界情勢に敏感に反応する
アメリカと未来を見据えたGM

 そして2016年、若松さんはGMジャパンの代表取締役社長に就任。GMは、初の女性CEOメアリー・バーラの指揮のもと、大きな決断を伴う事業の再編が着々と進められていた。前倒しをしてまで大きく電動化へ舵を切り、事故ゼロ、排気ガスゼロ、渋滞ゼロの「トリプルゼロ」をビジョンに掲げる。

 「アメリカでは早くから、ESG(環境、社会、ガバナンス)が、企業に求められていることを感じていました。サステナビリティ(持続可能性)がマストとなり、社会に貢献する姿勢が問われ、そうでない会社は投資の対象にならないのです。GMは電動化とともに、世界一インクルーシブ(社会的包含)な会社になろうとしています。新たに打ち出したキャンペーン、『Everybody In』にもその想いが込められています。これからは、クルマを買ってくれる人だけでなく、子供や老人まで、誰ひとり取り残すことのない未来を創る。それがGMのメッセージなのです」

 アメリカの多様性は、すでに未来へ向けられている。それはコルベットも例外ではないはずだ。ハイブリッド化や完全EVモデルを近い将来見ることができるかもしれない。

シボレー コルベット

車両本体価格:11,800,000円~(消費税込み)
エンジン:V型8気筒 OHV 総排気量:6,153cc
車両重量:1,670kg(クーペ)/1,700kg(コンバーチブル)
最高出力:369kW(502PS)/6,450rpm
最大トルク:637Nm(65.0 kgm)/5,150rpm

新型コルベットの持つ意味とは何か

 2019年初頭。東京オートサロンという檜舞台で、8世代目となった新型コルベットを若松さん自ら初披露した。ミドシップとなったコルベットには、新しいアメリカの姿があった。驚きや不安を持って見守るファンもいたが、実は、コルベットに長く携わるエンジニアたちにとって、それは執念の末に日の目を見たといえる光景だった。

 「〝コルベットの父〟と呼ばれた伝説のエンジニア、ゾーラ・ダントフが最初に構想していたのは、ミドシップのコルベットでした。彼の仕事を引き継いだ歴代のエンジニアたちも、ミドシップを作ろうとトライしてきましたが、色々な事情で断念してきました。それがついに、C8で実現したのです。ゾーラは1996年に亡くなりましたが、空から見ていてガッツポーズをしているんじゃないかと思います」

 そうした苦労を見聞きしてきた若松さんにとっても、C8は特別な1台だ。待ちに待った実車が日本に到着し、富士スピードウェイでの走行イベントに向けて準備が進んでいくなか、コンディションを万全にするため慣らし運転が必要だと聞きつけ、若松さんはその役目を買って出た。

 「妻を誘い出しました。2,500㎞ほど走ったのですが妻からはひとことも不満が出なかったのです。私も、初めてドライブしたC8にとても感動しました。まず視認性が良い。自分がクルマのど真ん中にいると感じられて、後ろから心地良いエンジン音が響いてくる。ミドシップになっても、やはりコルベットは変わらない。さらに右ハンドルになったことで、右折や車線変更などのストレスも減り、誰にでも運転が楽しめるクルマになっていると確信しました」

 収納はフロントだけでなく、後方にもゴルフバッグ2個が入るスペースがあり、長旅の荷物も余裕の実用性がある。そしてこの慣らし運転での実燃費は11㎞/ℓをマーク。環境性能の高さも証明してみせた。

 コルベットはアメリカの象徴であり続けながら、時代によって求められるクルマに変貌してきた。グローバルな考え方が優先される現代において、今回のモデルチェンジは当然のことだったのだろう。かつてのアメリカを強硬手段で取り戻そうとしたトランプ政権を終焉させ、コロナ渦をいち早く抜け出そうとしているのもアメリカなのである。このタフな国は伝統は継承しつつも、過去に囚われる事なく、新しい価値観をどこよりも早く創造していく。


コルベットの系譜

1954 コルベット コンバーチブル C1

1966 コルベット スティングレイ クーペ C2

1972 コルベット スティングレイ クーペ C3

1987 コルベット コンバーチブル C4

2001 コルベット クーペ C5

2013 コルベット クーペ C6

2018 コルベット グランスポーツ C7

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