バイク乗りと カフェのこと

バイクで出かけたくなる季節がやってきた。しかしどこに行けば良いのか分からないという人も多いのではないだろうか。丸一日バイクだけに時間を使えるのであれば、遠くまでツーリングに行くこともできるだろう。

しかし自由な時間が限られていたり、そもそもバイクで遠くまで行くことに興味がないという人だっている。第三次バイクブームが来ていると言われる昨今、クルマでもちょっと訪ねてみたくなるカフェが増えてきているらしい。

レジェンドのカフェ

文・岡小百合 写真・長谷川徹

 春の三浦は穏やかさに満ちている。房総半島との間に横たわる、静かに凪いだ海。ここが東京湾の入り口だと忘れてしまうほどの暖かい風。海の近くならではの空気に、時間の歩みはゆるやかに速度を落とす。湘南エリアと混同されてしまう場所ではあるが、湘南ほどの賑わいはない。茅ケ崎や江の島などの観光開発が進んだリゾートや、大人の海としての優雅さを備えた鎌倉や葉山とも、少し顔つきが違う。荒崎海岸や観音崎など、古代の地層が剥き出しになった大地が残る、ダイナミックで荒々しい自然の姿が三浦にはあるのだ。

 しかし優しい場所でもある。大根やキャベツなどの生産がさかんで、あちらこちらに畑が広がっている。半島に挟まれた地形ゆえ、寄せては返す波は一年を通じて穏やかだ。都心から高速道路を乗り継ぐこと、約1時間半。横浜横須賀道路の佐原IC出口から十数分で、こうした光景に出会えるのだから、思い立ってバイクにまたがり、その鼻先を向けるにはうってつけの場所なのだ。

 「PILOTA MOTO」は、そういう三浦の中でもとりわけ牧歌的な野比海岸にある小さなカフェだ。店の前はバイクの駐車スペースになっている。カウンターに座って、店主が淹れてくれたコーヒーをすすると、緊張がふっとほぐれた。右手には、窓の外に海が広がっている。悠々と。青々と。目の前の道を隔てたすぐそこで行われている海岸の補強工事は、もう1年半も続いているのだという。そんなちょっとした生活感にも、何だかほっとさせられる。この感じ、どこかで見た。と思ったら、単館ロードショーから始まった、ヨーロッパの小粋な映画だった。『イル・ポスティーノ』『グランブルー』『ポンヌフの恋人』…。

 「この海、地中海みたいに見えませんか? ヨーロッパ…特にイタリアやフランス、スペインなどへ行くと、どんな街にも小さなカフェがあるでしょう。食器や家具に、その店だけの個性があって。小粋なんですよ、どの店もそれぞれに。窓際を陣取る常連さんだけじゃなく、初めて訪れた旅行者さえ温かく迎えてくれる雰囲気があって。心地よくひとやすみできるんです」

 そういう店が、なぜ日本にはないのだろう。否、あるにはあるが、なぜ東京や大阪や福岡のような都市部にしかないのだろう。そんな疑問からこのカフェが生まれたのだという。特に自転車乗りにとって、そんな風に心地よく足を休められるカフェがない。ということが、モチベーションにつながったと、店主は話す。

辻本 聡/1960年2月生まれ。ヨシムラでデビューした1985年から2年連続でTT-F1クラスのタイトルを獲得。鈴鹿8耐では、ケビン・シュワンツ、エディ・ローソン、加藤大治郎、伊藤真一といった名だたるライダーとペアを組み表彰台に3回登壇。四輪においても1998年にスーパー耐久のST-4クラスでシリーズチャンピオンを獲得した。

 「ツール・ド・フランスの開催が代表するように、自転車文化が浸透しているヨーロッパでは、サイクル・ウェアのまま、そういうカフェに入ることもできるんです。そんな場と文化をここで作りたかったんです」

 そう話す店主自身も、自転車乗りだ。箱根まで往復200キロのツーリングを敢行したこともあるというから筋金入りだ。しかし、50の手習いなのだという。二枚目風情の涼しい顔立ちもさることながら、還暦を過ぎても崩れてなどいないスマートな体形に、そんな恐ろしいほどの体力と脚力が潜んでいる。きっと若い日の貯えが違うのだ。否、きっと、ではない。「やはり」、と書くべきだった。

 「辻本 聡」。その名を聞いて、ヨシムラ・カラーに染められたスズキGSX-Rを思い出す方も少なくないだろう。全日本選手権TT-F1クラスの2連覇や、鈴鹿8耐での3回の表彰台、アメリカ・デイトナ200マイルレースでの2位獲得など、特に1980年代中盤からの活躍は、多くの人の記憶の中で輝いているはずだ。バイク好きにはおなじみ、どころか、レジェンドたる名レーサーのひとりに違いない。「PILOTA MOTO」は、その辻本さんがオーナー、かつ、マスターなのだ。

 けれど何の前知識もなく、ツーリングの途中にふらりとこのカフェに立ち寄ってコーヒーを飲むのだとしたら、果たして店主の栄光の日々を想像できるだろうか。店内に足を踏み入れたら、察しぐらいはつくかもしれない。カウンターに飾られたミニチュア・バイクの数々、壁にかかるレーシングスーツやヘルメット、額の中で輝くレース中のコーナリングイラスト。しかもスズキGSX-R750Rとカスタムされたハーレーの2台が店の奥に鎮座しているのだから。

エディ・ローソンと組んだ1993年の鈴鹿8耐2位のトロフィー。横のイラストは、そのときに乗ったホンダRVF750。下のプラモデルは、1986年の8耐で3位に入ったヨシムラのGSX-R750。ペアはケビン・シュワンツだった。その奥のDAISHIN RACINGのステッカーに注目。1984年に初めて鈴鹿8耐に出場したチームのことも忘れてない。

 もちろん辻本さんに会うことを楽しみに、わざわざここへやってくる人も多い。お客さまの9割がたがバイク乗りだというのは、辻本さんが経営する店としてごく自然な成り行きだろう。しかし、店主の過去を知らずに立ち寄り、かつ、外のテラスで海を眺めながらブランチを楽しむような人にとって、辻本さんはあくまでも、そしてどこまでも、海辺の小さなカフェのかっこいいマスターだ。それぐらいに辻本さんは、気さくでほがらかなのだ。「大阪人はひとを楽しませるのが好き」と自分自身を分析するが、それだけでは説明のつかない深みのようなものが、日焼けした目じりに浮かぶ笑い皺に刻まれている。

 そうした親しみやすくサービス精神あふれる人柄に加えて、辻本さん自身が厨房に立ち、コーヒーも淹れればスパゲティも茹でるのだから、やはりマスターには違いない。「自分自身の手と目の届く範囲でやりたい」との想いから、床のテラコッタ・タイルなども、横須賀のスペイン・タイルの店でみつけたものを、自分で貼って仕立てたのだという。

 「辻本 聡」がひとりで切り盛りする店である以上、当然のことといえば当然のこととして、モトGPの解説をはじめバイク関連の仕事がある時には、窓に「CHIUSO」のプレートがかかる。イタリア語でクローズの意だ。だから必ずここに来たいと思ったら、ツイッターで営業日を確認する必要がある。そんな気ままな営業スタイルも、その方が自然とばかりに、三浦の海と風は寛容に受け入れる。

 「仕事だけを考えたら、もちろん東京が一番便利です。でも、東京は自分が住む所じゃないという感覚がかなり以前からあったんです。仕事の縁で、横須賀や三浦に少し土地勘ができて、この道を通る機会も多かったんです」
 店の前を走る道路は、文字通りの海沿いではあるものの、国道から1本はずれた県道だ。そのこともまた、このあたりののんびりとした牧歌的な風情を支えているのだろう。

 「ある日ここを通ったら、建設作業をしていたんです。すぐに不動産業者に電話をしました」と、この場所との偶然の出会いを話す。しかしそれが必然であったことは、カフェの佇まいとしつらえ、そして辻本さん自身と触れ合えば、すぐに察することができる。それほどに、ここでしか得られない居心地の良さがあるのだ。

 香ばしいアロマがふわりと薫るコーヒーが、あまりにも味わい深かったので、思わずどんな豆をどのように焙煎しているのか、などとたずねると、

「美味しいと言ってもらえるのは素直に嬉しいけれど、特別こだわったコーヒーというわけではないんです。普通の豆ですよ。いい加減なんです」微笑みつつそう言った。

 いい加減、つまり、ほどよい加減を、その時々の自分自身に対しても、そして暮らし方や生き方についても探し、目指し、いい塩梅に折り合いをつけながら、人生を楽しんでいるのではないだろうか。そう思った。まるでコーナーのRや路面状況に合わせて、ひらひらとバイクで駆け抜けるように。

 現役時代、辻本さんは、首の骨を折るという選手生命が危ぶまれるようなケガに見舞われたことがあった。他の選手の転倒に、巻き込まれての事故だった。そのことすら「しょうがない」とほほ笑みながら振り返る。現役中から現在に至るまで、一番怖いのは「バイクに乗れなくなること」だと言う。

「治るんだったらいいんです。乗れなくなるのは嫌だなあ。だって、楽しいじゃないですか、バイク」

 たくみに重心移動しながらライディングすることも上手いが、人生の重心移動もまた、同じくらいに上手いのだと思う。

「そのうち、イタリアのサンドウィッチ、パニーニのテイクアウト・メニューをやろうかと考えているんです。店の前の海岸線は、自転車のトレーニング・ロードにもなっているから。コンビニのおにぎりもいいけれど、サイクル・ウェアの背中のポケットにパニーニをひょいと入れて、かじりながら走った方が、素敵でしょう」

 全身で風を受け、かつ、自立しない二輪車は、ある種の覚悟がいる乗り物だ。特に筆者のような万年初心者にとってはなおさらだ。

 それでも、どこへでも、どこまででも行ける気にさせる二輪に惹かれる。その身軽な存在感を象徴するように、気軽に、まるでスニーカーを履くようにバイクとつきあいたいと日頃から願っている。そして憧れている。だからこそ思う。さっとまたがって少し走った先に、立ち寄るべきカフェがあったら、きっとバイクとの関係はもっと心豊かで素敵になるはずだ。

 次に「PILOTA MOTO」を訪れるときは文庫本を一冊、バイク・ジャケットのポケットに入れておきたい。ホットドックをいただきつつ、辻本さんの話と小説にゆったりとつかる休日の昼下がり。春の波音を聞きながら読むなら、誰の本がいいだろう? 帰り支度をしながら、そんなことを想像して海の方を見ると、鮮やかな窓枠が目に入った。ターコイズブルーの絶妙な色味が、窓ごしに広がる野比海岸の地中海ぶりを惹きたてる。

 壁や天井に、自分で塗ったと分かるはみ出したペンキが残っている。その手づくりの温かさが、辻本さん自身とこのカフェが持つ、人間らしさを反芻させる。

「ターコイズって、旅のお守りなんです」

 そのひとことに見送られながら、店を出ようとして気付いた。ドアノブの近くに、さりげなく描かれていた、小さなメッセージに。

「Go Home Safely」 気をつけて、帰って。

PILOTA MOTO(ピロータモト)

〒239-0841 神奈川県横須賀市野比5丁目6-39
営業時間11:00~17:00
営業日については「PILOTA MOTO」のツイッターで要確認。
四輪の駐車場がないので注意。
バイクでいけるカフェ6選!

Cafe Jack in the Box

セルフ洗車場、整備スペース、バイクガレージなど、総合型モビリティパークのひとつとして展開するカフェ。女性ライダーが店長のフレンドリーな雰囲気で、店名には「ここに来れば楽しいことがある、出会いがあるびっくり箱」という思いを込めているという。洗車やオイル交換の間に立ち寄って、仲間やスタッフとのおしゃべりを楽しみながらライダーの輪を広げられる空間だ。

神奈川県横浜市瀬谷区阿久和南4-12-6
ジャンボ洗車センター阿久和敷地内
TEL:045-442-5557
営業時間:月~土11:00~24:00/日・祝11:00~20:00
*水曜、第2・4木曜は定休
※緊急事態宣言中は土日11:00~20:00のみ営業

808Cafe 10R

134号線沿いにある、逗子海岸を一望できる開放的なテラス席が魅力のカフェ。ウッドデッキの前にバイクを停めて、バイクを眺めながら食事が楽しめるロケーションに加え、三浦、横須賀の農家から直接仕入れた新鮮野菜で作るメニューも多い。1番人気は旬の野菜が入ったホットサンド。オリジナルジンジャーシロップのドリンクや旬の果物の酵素ジュース、自家製されたマフィンなど手作りが嬉しい。

神奈川県逗子市新宿5-3-28
TEL:046-854-7009
営業時間:平日10:00~18:00/土日祝7:00~18:00
(10時までモーニング限定メニューあり)
*不定休

SPEED★STAR CAFE

バイクのタイヤ交換専門店「SPEED★STAR」から徒歩15秒に併設されたライダーのためのカフェ。タイヤ交換の待ち時間を快適に過ごしてもらおうと始めたそうで、窓越しにタイヤ交換の見えるガレージ風の空間には居心地の良いソファやテラス席(喫煙可)が並ぶ。アメリカンダイナーのようなボリュームたっぷりのメニューが評判で、電源やWi-Fiも完備、ペットの入店OK。都心ライダーの憩いの場となっている。

東京都世田谷区世田谷1-47-7
TEL:03-6432-6362
営業時間:平日8:30~20:00/日・祝8:00~19:00
*水曜定休

UNITEDcafe

都心からふらりと訪れることができる、環七通り沿いのカフェ。店内にはギャラリースペースが併設されており、常時展示会が開催されている。3月17日(水)からは「バイクのある日常」をテーマにしたイラストレーション展【HAVE A BIKE DAY. Vol.3】が開催予定。自家製パンを使用したメニューや、ファラフェル、タンドリーチキン、生麺のパスタ、カレーなど食べ応えのある料理からヘルシーフードまで、幅広く楽しめる。

東京都世田谷区野沢4-4-8 1F
TEL:03-5430-3477
営業時間:10:30~23:00
*火曜定休

Cafe Superracer

今年で20周年を迎えた東京ライダースカフェシーンのパイオニア。「大人が愛車を眺めながら利用できる居心地の良い空間」をコンセプトに作られ、提供する飲食も手作りの本格的なメニューが並ぶ。天然酵母パンを使ったハンバーガーや炭火で3時間かけたローストポークなどの人気メニューのほか、オリジナルスイーツも充実。店内は装飾をあえてミニマムに抑え、様々なテイストのライダーが集まれる場を提供している。

東京都港区海岸3-12-9
TEL:03-5484-3403
営業時間:月火木金土11:30~23:00/水11:30~14:30/日11:30~20:30

バイカーズパラダイス南箱根

オートバイ文化を発信する新形態ドライブイン『バイカーズパラダイス南箱根』は、2019年夏に湯河原峠で開業。都会の喧騒を離れて雄大な景色を味わえる。人が出会い語らうコミュニティの場を提供している。200席の広大なスペースを備えたカフェは、ハンドドリップコーヒーなどこだわりのドリンクや軽食を用意。常設のハンモックは癖になる寝心地らしい。大人のためのモータースタイルを提案するセレクトショップ「Motorimoda」も出店。

静岡県田方郡函南町桑原1348-2
TEL:0460-83-5819
営業時間:平日9:00~17:00 土日祝9:00~17:00
Gate COST(施設運営協力費)2輪/3輪500円(1台/1日)
普通4輪2000円(1台/1日)
※1500円以上の施設利用で割引制度有り
新型コロナウィルス感染拡大防止の為、休業日の変更や営業時間が短縮される可能性があります。

「バイク乗りと カフェのこと」の続きは本誌で

レジェンドのカフェ 岡小百合

バイク乗りが集まる理由 山下 剛


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