宮崎アニメとクルマたち ジブリで描かれたクルマたち

写真・長谷川徹

もしフィアットのチンクエチェントが『カリオストロの城』に登場してなかったとしても、現代版のチンクエチェントは発売されたのだろうか。

もしクラリスの乗ったクルマがピンクの2CVじゃなかったとしたら彼女の可憐さと芯の強さを冒頭で表現できたのだろうか。そして峰不二子が軍用ハーレーに乗ってなかったとしたら…。

クルマをリアルに描いた宮崎 駿の初映画監督作品である『ルパン三世 カリオストロの城』は、
その後のアニメとクルマの関係を大きく変えていった。

ジブリで描かれたクルマたち

文・まるも亜希子

 小学生から高校生までの多感な時期に、『風の谷のナウシカ』や『となりのトトロ』、『魔女の宅急便』といったジブリ映画が公開され、少なからず影響を受けて大人になったのが今の40代である。クラスの子たちは誰でもナウシカの歌が唄えたし、トトロのマスコットを通学カバンにぶら下げるのも流行った。現代の子供たちでいう、〝アナ雪〟や〝鬼滅の刃〟のような現象が起こっていたと言える(ナウシカの制作はスタジオジブリの前会社であるトップクラフトだが、ジブリ作品の原点という位置付けとされている)。

 そしてどの作品も、ビデオを借りたりテレビ放送を録画したり、もう何度見たかわからないほどだ。セリフをそらで言えるシーンもあるくらいだが、見るたびにやっぱり笑い、泣き、新たな発見まであるからやめられない。

 そんなジブリ映画に出てくるクルマたちは、とてもさりげなく描かれている。実際の印象以上に大げさに個性が強調されることはなく、もちろん主役になることもなく、ただただ、物語の中に自然に存在する。何度か見返して初めて気づくクルマもあるが、そうした景色の一部のようなクルマでも、登場させるからには手を抜かない、というこだわりが見て取れる。実はそこが、クルマ好きからするとたまらないところだ。
 ことさらにクルマを目立たせる映画もあるが、ジブリ映画はそうではない。登場するのは、時代背景や人物の設定、街並の再現性といったものに合ったクルマたちで、演出に必要であれば特殊な能力や異なったメカニズムで描かれていることもある。例えば昨年末にNHKで放映された新作『アーヤと魔女』では、魔女が乗るシトロエン・2CVのフロントグリルから捕獲道具らしきものが伸びてきたが、それが物語の謎めいた雰囲気を増長させ、クルマ好きから見れば「なるほど、こんな機能を備えた2CVが世界のどこかにあっても不思議ではないかも」とワクワクさせてくれた。

 そして、ジブリ映画のクルマたちは人物の性格や心の動きをほのめかす道具としても、絶妙な役割を果たしていると感じる。中でも、『千と千尋の神隠し』で主人公・千尋が両親と引越し先の家へと向かう冒頭のシーン。家族が乗るのはアウディA4だ。「四駆だから大丈夫だ」と父親が荒っぽいハンドルさばきで奮闘し、ずんずん山道を分け入っていくA4は、左ハンドルのマニュアル車。噂によれば、宮崎 駿監督の愛車がモデルとなったそうだが、エンジン音はもちろんタイヤの軋み音やブレーキングの音までも、リアルに再現されている。ここで私たちは家族を守り導くような父親の強さに触れるとともに、このシーンを境に奇妙な世界へとたった1人で踏み込むことになる、千尋を待ち受ける運命への不安や脅威、期待といったものにすっかり引き込まれたのではないか。大人になってから、そんなことを考えた。

 また『崖の上のポニョ』では、主人公・宗介の母親の愛車として、三菱・トッポを彷彿とさせる青いクルマが登場する。父親の留守をひとりで守る母親は、どこへ行くにもこの愛車をかっ飛ばす。息子のため、職場のため、嵐にだって立ち向かうその姿は、母の強さ、愛情の深さを表しているようでもあり、母親にとっては夫の代わりとなる盾のようでもある。あらためて、クルマは人を支えることができるんだ、寄り添うことができるんだ、と感じさせてくれたのだった。

 まだ幼い我が子には、そうしたクルマの魅力や心の機微まで伝わっているのかどうか、今はわからない。でも、ジブリ映画に出てくるのは、人間とともに生きているクルマたち。我が子にも、そんなクルマを好きになってほしいと願う。


「宮崎アニメとクルマたち」の続きは本誌で

「ルパン三世」がもたらしたもの 山下敦史

ジブリで描かれたクルマたち まるも亜希子


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