クルマにとってのスキ

クルマやバイクに限らず工業製品の進化は、完成度を高めることが重要課題である。

不確かなものをより確かなものにするため、欠点を克服することを命題として来たのだ。それは隙を無くすことを繰り返して来たとも言えるだろう。

しかし調子を維持するため費用が多く掛かるクルマや、手間の掛かる古いバイクを愛好する人が多いことも事実。

クルマやバイクを嗜好品として捉えるなら、隙があることの方が重要なのかもしれない。

時に“隙のない”は疎まれるが、”隙がある”は、魅力に繋がることがある。

隙を無くすことで
新たな味わいを求めたトヨタ

文・池田直渡

 トヨタはこれまでと異なる全く新しい生産システムを構築して、環境にも安全にもフレンドリー、かつ味の良い世界を産み出そうとしている。それが「GRファクトリー」である。

 トヨタが目指したのは「モータースポーツからクルマを作る」という新しい手法だ。「GC10型のスカイラインGT-Rだって、トヨタ2000GTだってそうだったじゃないか!」という人もいるだろうが、あれはトヨタが言うものとは違う。GT-RはS20型エンジンが特別だったのであって、車体はそれほど特別ではないし、トヨタ2000GTはエンジンもシャシーもそれなりに特別だったかも知れないが、言わば限定生産車だからこれも違うのだ。

 市販車とモータースポーツの世界はねじり合うメビウスの輪のようなもので互いに影響を与えながら進化してきたのは事実だが、その間には深い溝があった。例えばリヤウイングへの風の当たり方。それは設計の段階で考慮しないと本来は有効に働かないという。

 しかしこれまで、市販車のボディ設計の段階でウィングへの風の当たり方など考慮してなかったはずだ。スタイルと居住性、ボディ剛性への影響、ラゲッジの使い勝手、生産性など優先して検討すべきファクターがあるのに、例外的な台数でしかない後付けのウイングへの配慮など入り込む余地がなかったのである。ヤリスはそれを打ち破った。リヤウィングへの風の当たり方を最初から考慮してボディが設計されている。

 あるいは車高。モータースポーツの世界では車高の1ミリは勝敗を分ける。だからこれまで、市販車をベースにレース車両を作る際は一度全部をバラして、高精度に組み立て直すことで車高を整えていた。レースで全バラをやるのは、そうすると性能が変わるからだ。だが、トヨタはそれを最初から生産段階で行うことにした。逆に言えばその手法を量産車に取り入れれば車両は高性能になる。

 しかし、ワンオフのレース車両を作るような手間や時間はかけられない。そもそもトヨタ規模の大量生産メーカーがやるべきことではない。そこでトヨタは、100万台のクルマを高精度で組み上げる方法を考えた。

 大量生産というのは、部品の規格化の恩恵だ。かつてネジは手作りだったので、雌ネジと雄ネジは一対のものであり、他の組み合わせでは締めることができなかった。これを規格で統一して、同一規格ならどのネジでも締まるようにすることが規格化だ。しかし、これを実現するには公差の設定が必要になる、工業製品には必ずムラがあり、何個作っても全く同じということはない。もちろんそれを可能な限り揃えていく努力は大事だが、設計者は必ず、プラスマイナスいくつまでというサイズのブレを認める基準を作る。これを公差と呼ぶのだ。

 なので、雌ネジが最小公差で雄ネジが最大公差の場合、噛み合いがきつくなるし、逆なら緩くなる。ネジと違って、組み付け位置がもっとフリーな部品もある。例えばサスペンションのブッシュだ。ホイールが自重でぶら下がっている状態でネジを締めれば、タイヤが地面に接した時、ブッシュは捻られて反力を発生する。これは図面には考慮されていない力だ。だから車両の荷重がかかった状態でネジを締める。これを1G締め付けという。つまり多くの部品をどうやって正確精密に組み付けコントロールするかによって製品の出来は違ってくるのだ。

 多くの人は同じクルマでも個体によって当たり外れがあることを知っていると思うが、それは公差が生み出す無数の順列組み合わせがもたらす性能差なのである。何しろクルマは3万点の部品の集合体。順列組み合わせの種類は3万の累乗だ。天文学的単位になる。

 そういう部品を設計図の中の理想値に限りなく近づけて正確に組んでいくためにトヨタはどうしたのだろうか。まずT型フォード以来、自動車大量生産の象徴であったベルトコンベアを止めた。動き続けるコンベアの上で、高精度な部品の組み付けなど不可能だからだ。精密に寸法を規程できるジグの上にクルマを固定して、職人が高精度に部品を組み付けていく。ここまではレース用ワンオフと同じなのだが、ワンオフではそこで少数の職人が最初から最後までの作業を行う。となれば機械化もできないし、作業も複雑化する。それではまずい。

 なのでトヨタは工程を細かく分割して、各ステップごとに組み付けブースを用意した。工業生産の世界ではこれを「セル組み立て」と言うのだが、分割した工程を、いくつも連ねて、その間をAGV(自動搬送車)が繋いでライン化した。それがトヨタの新しい試みなのである。それはベルトコンベア式の大量生産システムとワンオフとの新たな融合であり、ワンオフ並の精度と、生産台数を増やすことを両立させた初めてのシステムだ。

 それは高精度に組み立てられたクルマの低価格化を生み出した。これまでのやり方でヤリスGR4を組み立てていたら、1日10台程度しか作れないだろうし、そうなれば価格は完全に千万円級になっていたはずだ。トヨタはそれを100台に増やした。その結果、500万円で買える高精度車両の販売を現実にした。無駄にこそクルマの味わいがあるというのも一面の事実だが、トヨタは無駄を徹底排除することで新たな味わいを作り出している。


特集「クルマにとっての隙」の続きは本誌で

英国車から見えてくる隙の正体 吉田拓生

コロナ禍の中で感じた遊びの重要性 山田弘樹

工業製品としての価値と逆行する心の価値 山下 剛

隙を無くすことで新たな味わいを求めたトヨタ 池田直渡


定期購読はFujisanで