バイクを書くということ

文・伊丹孝裕/写真・長谷川徹

2輪雑誌の編集者を経て、35歳の時にフリーランスのライターになった。

 以来、新型車のインプレッション、技術解説、そこに関わった人へのインタビュー、製品紹介、イベントレポートといった様々な事象を原稿にしている。

 取材を通じて見聞きしたことを文字化するにはおおよそ決まったパターンがあり、それに沿って組み立てていく。この仕事に必要な道具はそう多くない。バイクに乗るための装具を除けば、現場で使うのはメモ帳とペンとボイスレコーダー、あとはコンベックスくらいだ。コンベックスはハンドル幅やスイングアーム長など、気になる部分があれば計測できるように持ち歩いている。

 編集部から特別なオーダーがなければ、自分なりのフォーマットに則って原稿を書く。インプレッションの場合はそのモデルの成り立ちやコンセプトに始まり、ライディングポジションの検証、新機構の説明、出力特性の確認……といった具合だ。

 乗った時に感じる印象は、実のところプロもアマもそれほど大差はない。しかしながら、カメラのファインダーを通すと身体能力の差が露骨に表面化する。博識であることよりもきれいな、もしくはスピード感のあるフォームで乗れることが求められる。身長は高過ぎず、低過ぎず、体重も多過ぎず、少な過ぎず、車体と身体のサイズ感がちょうどいいことも重要だ。その方がバイクのデザインやスポーツ性が引き立つ。さらに言えば、レース経験がないライダーよりもあるライダー、国内ライセンスよりも国際ライセンスを所有しているとなおいい。速いヤツがエラい。そういう価値観が根強く残っている世界である。

 言い方を変えると、一度その枠に入ったなら定期的に試乗の依頼が舞い込む。流れを掴めば苦痛な仕事ではない。新進気鋭の若手が登場してポジションが脅かされることもなく、イス取りゲームの音楽が鳴り止んでも悠々と座れるどころか、いくつも席が余っている状態だ。ウェブ媒体が次々に立ち上がっている分、仕事は減るどころか増える一方である。

 今、2輪系ライターの多くは条件反射のような仕事に終始している。昼間乗って、夜に写真をセレクトし、デザイナーにレイアウトを発注しつつ、同時進行で原稿を書き始める。そんなイメージだ。実際ウェブ媒体なら取材翌日には記事がアップされ、紙媒体でも3日後には印刷から上がってくるほどのスピード感の中にいる。

 それゆえ、物事を深く考えたり、突き詰めていては仕事が回らない。バイクとメディアの間に立つライターの役割はフィルターのようなものだが、常に純度の高い、価値ある情報を発信しているかと問われると答えに窮する。溢れる情報の中で処理が追いつかず、発信というよりも単なる転送に終始している感が否めない。

 そんな中で、時折絶望的な気持ちになる。多くの人から「バイクをもっと盛り上げるには、もっと認知してもらうにはどうしたらいいでしょう」と投げかけられるが、おそらくどうにもならない。レコードショップや純喫茶が激減し、それでも一部の愛好家のためには存続しているのと同じ道を辿るのでは、と想像する。そして、それでいいのではないか、とも思っている。

 クルマと異なり、バイクは社会的に必需品ではないのだからその数を増やしたり流行らせたりする道理がない。そのクルマにしても今後自動化が進み、やがて無人化が可能になると、今度はそれに乗って動く必要があるのか?という問題に行き着く。安全面や環境面を突き詰めていくと、人の移動がリスクを生み、エネルギーを消費させる行為に他ならないからだ。

 バイクのことを扱う雑誌は、というよりもすべての本の類はもっと切迫した問題に直面している。大半の情報がネットで事足りるため、書店の数そのものが減少し続けている。印刷物として手に入れるにしても、自分で書店に出向くよりアマゾンに任せた方が遥かにスムーズで、その時にカスタマーレビューで検討し、関連商品やおすすめタイトルも併せて参考にすれば失敗をしなくて済む。

 良い悪いの問題ではなく、これは抗えない大きな力である。バイクの魅力を知ってもらえると嬉しいし、書店という空間が大好きだから存続してほしい。ただし、そういう個人の思い入れや願望とは無関係に、なにもかもが防戦一方であがいている状態にある。

 衰退や消滅を遅らせ、マーケットを維持しようとすると、そのコストは価格に直接影響を及ぼす。バイクはすでにその域に入っているが、今後は印刷物も贅沢品へと姿を変えるかもしれない。

 ただし、たとえ非効率な衣服だとしても着物が排除されることがないように、掛かる手間暇を文化や趣味として楽しむ人がいなくなるとは思わない。小さく、狭い世界かもしれないが、だからこそバイクにも、それを文字や写真で表現する仕事にも新たな価値が生まれると考えている。

 メーカーは当たればラッキー的に不特定多数の人に向かって数を撃ち続けるのではなく、筋金が入った人に向けて狙い定めた1台を放つこと。僕らはそれをなんのしがらみもなく、正しく表現できる目利きであること。その過程で不要なプロダクト、メディア、人がどんどん淘汰されていった時、質の高い物と者が残り、バイクにまつわる世界は成熟したものになっているに違いない。

 自分にできることは苦しくても苦しくても考え続け、書き続けて伝えようとすることだ。世の中全体の仕組みからすれば徒労以外のなにものでもなく、効率や生産性とはかけ離れた大いなる無駄である。しかし、そういうものに心血を注げることが人間の特権であり、余裕や好奇心と呼ばれるものだ。

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