ひこうき雲を追いかけて vol.82 私の平成

編集長・若林葉子

 18歳で昭和が終わりを告げ、48歳の今、平成が終わろうとしている。元号が変わろうとも昨日の先に今日があり、今日の続きに明日があるだけなのだが、そうは言っても30年という月日はひとつの区切りとして十分な重みがある。

 他誌でも同様の企画が展開されるだろうと思いつつも、今月は平成を振り返る号とした。

 平成が始まった1989年。18歳の私は浪人生だった。確たる将来へのヴィジョンも持たぬまま大学を卒業し、早々に結婚した。その後、離婚という現実に立ち会わなければ、どう生きるべきか、と自分の人生に真剣に向き合うことはなかったかもしれない。ダメ人間の典型であるが、自分が自立すらおぼつかないダメ人間であると気付けただけでも、離婚は私にとってはラッキーだったと言えなくもない。

 離婚して最初にしたことは、自動車の運転免許を取ることだった。生活するのにクルマが必要だったからではない。これから一人で生きていくのに、運転くらいできなくてどうする、そんな気持ちだった。滑稽だが、本人は大真面目にそう思い、それでとった免許がAT限定だったのだからこれまた可笑しい。

 次にしたことはOLをやめてフリーランスのライターになることで、「おまえは悪い方に悪い方に行く。なぜこれから一人で生きて行こうというときにわざわざ不安定な道を選ぶのか」と、当時まだ健在だった父は嘆いた。でも「経済的に自立すること。できれば自分のやりたいことで食べていくのだ」、と30歳を目前にした私は心の中で決めていた。幸いにも半年ほどでフリーライターとしてそこそこ食べていけるようになったのだが、あらゆる意味で自分を変えたのは、ahead=クルマ/バイクとの出会いだった。

 免許を取ったのも遅ければ、取ったあともすっかりペーパードライバーだったから、編集部に入ってすぐクルマを買ったものの、本当に運転には四苦八苦した。けれど、ある程度自在に操れるようになってみれば、クルマやバイクがこんなにも人の行動範囲や世界観を広げてくれるものなのかと、身をもって知った。

 私にとって平成はチャレンジングな時間だった。好きなことをして食べていきたいと思って、それが叶い、ラリーに出たいと願ってそれも実現し、クルマやバイクによって世界が広がって、人生の中でも幸せな時間だったと言えるだろう。

 でも本当の勝負はこれからだ。もう若くはない。これまでできたことができなくなったり、自分の価値観が通用しなくなったりもするだろう。クルマの世界にもこれまでにない大きな変化の波がやってきている。そんな中で、人生の最期に向かって、どう生きていくか。これまでの経験のなにを手放し、なにを活かすのか。なにに抗い、なにを受け入れるのか。なにを諦め、なににこだわるのか。ここからが本当のチャレンジなのではないか、そんな気がしている。


定期購読はFujisanで