ライダーの未来とバイクという呪縛

文・神尾 成/写真・長谷川徹

ちょうど1年前に「リッターバイクの先にある125㏄」という、これまでのバイク人生を綴った文章を書かせて頂いた。

 50代に入った心境の変化を釣りの名句に例え、バイクも〝フナに始まりフナに終わる〟とし、大きなバイクを乗り続けた先に小さなバイクの面白さがあると記したのだ。結果、バイクに乗らない人も含めて同世代の方から多大な反響をいただき驚いた次第である。皆それぞれに自分の人生の中で、年齢という現実と闘っているのだなと実感できたことは、その後の勇気となり、共感を得たことが嬉しくもあった。そしてあれから僅かだが時間が経ち、この1年を振り返ってみると、相変わらず〝125㏄の冒険〟は続けているものの、バイクとの付き合い方が新たな局面に差し掛かったように感じている。バイクに対する情熱が一段落したことがきっかけとなり、自分の中でバイクのあり方が変わりつつあるのだ。

 先々月号で「カタナとは何か」という新型カタナに対する期待を記事化した。今の時代にもう一度カタナのようなバイクが必要だと考えたからだ。カタナは間違いなく中身よりも外観で評価を得てきたバイクである。オーソドックスなスタイルのバイクをアーティスティックなデザインに変身させたことで名車になった代表と言えるだろう。それと先月号で取り上げたハスクバーナのヴィットピレンにも注目したい。カタナと同様にヴィットピレンもKTMデュークとエンジンやフレームを共有する仕立て違いの派生モデルであり、洗練されたスタイルが支持されている。ただひとつカタナと異なるのは、バイクというカテゴリーを超えて進化を遂げているという点だ。見た目の印象がオフロード車に近いデュークを、前衛的なピュアスポーツに生まれ変わらせたことは、スポーツする道具をデザインも含めて品評されるガジェットに変化させたようなもの。このプレーンなガジェット感こそヴィットピレンの新しさであり、バイクを時代に沿った物へとシフトさせたポイントだと思う。

 以前、ある著名な工業デザイナーが「バイクは乗っている時間よりも眺めている時間の方が長い」と語ったインタビューを読んだことがある。確かにバイクは、走っている時間と同等に眺めている時間も充実して感じられる。特にカタナやヴィットピレンのような鑑賞に堪えるデザインのバイクほど、その傾向が強い。この眺めている時間がバイクを永く続けていく上でこれからもっと重要になってくるはずだ。今後デザインに特化したモデルが増えてクオリティが高まってくれば、バイクは本当の意味で大人の趣味になれるだろう。そして誤解を恐れずに言ってしまうと、バイクを所有しているからといって、無理をしてまで走らせる必要がないとも考え始めている。かつてビッグタンクのオフロード車に〝いつかきっと〟とロングツーリングへの思いを馳せたように、手元に置いておくだけでバイクは夢を見させてくれるものだから。さらに自分がそのバイクのオーナーであるという事実は、日々のストレスを乗り越える活力にもなるのだ。

 10代で人生の価値観の半分は形成されると聞くが、その頃バイクに目覚めた自分たちは、一生涯バイクという存在を抱えて生きていくのかもしれない。もちろん個人差はあるだろうが、将来バイクに対して捨て切れない想いが残ると思うなら、走らずともバイクを続ける方法を考えておく必要があるのではないだろうか。バイクを所有してさえいれば、ライダーであり続けることができるはず。だからバッテリーが上がろうが車検が切れていようが、決してバイクを手放してはいけない。いわばバイクとは、〝心の状態〟のことなのである。バイクのある人生を選び、この歳まで五体満足のまま生き長らえた者として、今後もバイクという自ら生み出した呪縛と上手く付き合っていきたい。

Husqbarna VITPILEN 701

車両本体価格:1,350,000円(税込)
エンジン:水冷単気筒4ストローク
乾燥重量:157kg
総排気量:692.7cc
最高出力:55kW(75hp)/8,500rpm
最大トルク:72Nm/6,750rpm

ahead vol.182(2018年1月号)
「リッターバイクの先にある125cc」が無料で読めます。


撮影協力:ARAI HELMET / HYOD PRODUCTS / JAPEX (GAERNE)

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