陽のあたる場所

 人はただまっすぐに人生を歩いていてる。思い描く目的地を頭の中にセットして、そこに向かってまっすぐにクルマを走らせる。

 それなのにいつしか時代の方が変化して、走っていた道の方が変化して、どこに向かっていたのか分からなくなってしまうことがある。

 本当に陽のあたる場所はどこにあるのだろうか…。

ハードボイルドのいらない時代

文・山下 剛 / 写真・渕本智信/ Rider:Sei Kamio

 3月上旬、BMWモトラッドが「ナイトミーティング」の2回目を催し、前回をはるかに上回る620名ほどの来場者を集めた。本誌182号「Feature」欄でも書いたように、このイベントにこれだけの人が集まるのは、かつての第三京浜の保土ヶ谷PAのようにたむろできる場所を欲しているからだろう。つまるところ、誰かと顔を合わせながらバイクを肴にして他愛のない話に興じたいのだ。

 ツイッターのタイムラインを眺めていると、バイクを買ったというツイートが流れてくる。ヤマハの公式アカウントやバイク販売店がリツイートするそれには、車種やメーカーのほかに「バイク乗りとつながりたい」というハッシュタグがつけられていることが多い。そこから伺えるのは、彼らがバイクという乗り物をコミュニケーションツールとして利用している事実だ。

 近年のバイク業界でヒットしている商品のひとつにブルートゥース・インカムがある。高速道路のパーキングでは、出発準備をするマスツーリングの一行がインカムの接続を確認している場面に遭遇することが増えた。「次の交差点を右折」や「ガソリン入れたい」といった意思伝達だけでなく、「昨日うちの長男が学校で……」とか「今年入ってきた新人が……」などのダベリ話をしながらツーリングできるようになった。

 バイクを走らせていると風切り音やエンジン音がうるさく、同乗者とすらろくに会話できなかった。ましてやマスツーリングのときに仲間と話すなんてことはそれまでは不可能だった。アマチュア無線で交信するという手段はそれまでも存在したが免許や機材導入のハードルが高く、ごく一部の好事家たちのものだった。だから仲間たちと一緒に走っていても「結局、人は一人で生まれ、一人で死んでいくのだ」という諦観が脳裏をちらついたものだ。

 しかしインカムがそんな不可能を可能に変えた。インカムはバイクツーリングの在り方を革新的に変えたのだ。近年、バイクの販売台数が伸びているという話があるが、インカムの普及はその要因のひとつではないか。

SV650X ABS
車両本体価格:781,920円(税込)
総排気量:645cc
エンジン:水冷4 サイクル 90°V ツイン DOHC4 バルブ
最高出力:56kW(76.1ps)/8,500rpm
最大トルク:64Nm(6.5kgm)/8,100rpm

 ツーリングスタイルの変化といえば、ソフトクリームもそうだろう。いつの頃からか、高原の牧場や道の駅、サービスエリアでソフトクリームを舐める中年男をよく見かけるようになった。旅の恥はナントヤラとか集団心理やらが織り交ざることで、「男子たるもの甘味を欲するなかれ」とでもいうような男性性のひとつを振り払えるからだろう。これと同時に、ポリティカル・コレクトネスの浸透によって女性の社会的地位が向上して拡張され、相対的に既存の男性性を堅持する必要がなくなったことも関係しているだろう。それまでの鬱憤を晴らすかのように、男たちはこぞってソフトクリームを舐めるようになった。

 これには飲酒運転の厳罰化も影響しているだろう。飲酒運転は常識を大きく逸脱する反社会的行為となり、男は酒を飲めてナンボというような価値観を否定することが容易になったからだ。
 とにもかくにも、バイクに乗った中年男がソフトクリームを舐めはじめたことで、バイクという趣味が抱えていたイメージも変化しはじめた。かつてバイクは男性性を象徴するもののひとつであり、ナイフやピストルのような武器の代用品の側面すらあった。男はタフでなければならない。タフな男はバイクのように過酷な乗り物を操ってこそ、その価値が証明される。

 あるいは、バイクとは孤独な乗り物である。雨に打たれて風に晒され、寒さや暑さに耐えつつ、次々と起こるトラブルを解決して走り続けることができてこそ、一人前のバイク乗りである。すなわち男である。孤独に耐え、それを楽しむ心の余裕があってこそ男である、と。

 これらはいわば抑圧からの解放であり、男であることやバイク乗りであることの重圧に耐えなくてもいい、つまりガマンしなくてもよくなったということだ。近年のバイクの進化が扱いやすさだったり足つきのよさにシフトしているのもそういうことだろう。革命的テクノロジーが登場すれば、雨風や暑さ寒さをガマンしなくてもいいバイクが誕生するに違いない。

 かつて女がバイクに乗ると男勝りといわれた。しかし前述したように女性の社会的地位の向上や拡張にともなって、バイクに乗る女性も増えた。今、バイクを楽しむ女性のことを男勝りという人はいない。バイクは男のものではなくなった。

 そもそもバイク乗りには寂しがりが多い。寂しさを感じない半生だったらバイクになんて乗らないのだ。だからこそ我慢や孤独を尊ぶ傾向があった。

 しかし我慢や孤独という美徳や美学は、科学と社会の進歩が霧散して霧消させてくのである。もうそれらを尊ぶ必要はなく、「寂しいから一緒に走ろうよ」とつぶやけば、それに応える誰かがきっと現れる。寂しさを覚えてバイクに乗りはじめるのに、それに耐え忍ぶことを求めるのがバイクなら、美徳や美学にいったい何の意味があるのか。

 バイク乗り同士で寂しさを分かち合い、情報も感情も共有してより深く広く、バイク趣味を楽しめる時代になったのだ。


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ハードボイルドのいらない時代 山下 剛
コネクテッド・カムのもたらす未来 南陽一浩
運転席のある人生 まるも亜希子


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