モタスポ見聞録vol.5 レーシングクラッチの耐久力

文・世良耕太
ポールポジションからのスタートで、期待されていたトヨタ7号車だったが、小林可夢偉選手のドライブ中にクラッチトラブルに見舞われ、日付が変わって間もなく無念のリタイヤとなった。

 クラッチはエンジンとトランスミッションの間にあって、エンジンからトランスミッションに力を伝えたり、切り離したりする装置だ。

 向かい合わせになった2枚の円盤で構成されたクラッチを押し当てれば、エンジンからトランスミッションに力が伝わり、円盤を離せば、力は伝わらなくなる。発進時に乱暴に押し当てるとエンジンはストールしてしまうし、スムーズに発進しようとして円盤を少しずつ押し当てていくと、接触面同士が過熱して壊れ、空回りしてしまう。乗用車のクラッチはスチール製の単板が基本だが、レーシングカーの場合は伝達する力が大きいので、トップカテゴリーではカーボン材を使うことが多い。接触面積を稼ぎつつ小径にするため、多板式が一般的だ。

 クラッチにとって最も厳しい局面はスタートである。ドイツのDTMと日本のSUPER GTは技術規則を共用しているが、スタート方式はまるで異なる。DTMは停止状態から発進するスタンディングスタート。SUPER GTはフォーメーションラップ終了時にグリッドで静止せず隊列を整え、そのまま加速するローリングスタートだ。

 クラッチへの負担が大きいのは当然、スタンディングスタートである。DTMの場合、500psを発生する4.0ℓ・V8エンジンの回転数を6,000rpmまで上げ、クラッチを半分ミートさせる。半クラッチというやつだ。このままではクルマが前に進んでしまうので、ハンドブレーキを引いてスタートの瞬間を待つ。このとき、滑りながら力を伝達しているクラッチの温度は1,200℃に達する。それでも音を上げないようクラッチの仕様が決められているのだ。

 F1もDTMと同様にスタンディングスタートだ。クラッチの操作は手動だが、2015年までは制御やピットからの無線による指示が助けていたので、ドライバーは楽をすることができた。’16年以降はドライバーの感覚だけが頼りになったので、技量の差が出やすくなっている。

 WEC(世界耐久選手権)の最上位カテゴリーに参戦するポルシェとトヨタはどちらもハイブリッドシステムを搭載しているが、クラッチの使い方は異なる。フロントにしかモーターを搭載していないポルシェは通常どおり、発進時にクラッチを使う。一方、トヨタは使わない。なぜなら、トランスミッションに内蔵したリヤモーターを使って発進するからだ。一定の速度に達したところでクラッチをつなぎ、エンジンを始動する。基本的には発進時に使わないので、クラッチの容量を小さくできる。容量を小さくできれば軽くなるので、車両運動性能に寄与する。ただし、緊急時にエンジンで発進できる仕組みにはなっている。

 6月のル・マン24時間では、トップを走っていたトヨタ7 号車がクラッチのトラブルにより走行不能に陥り、リタイヤした。イレギュラーな状況だったためモーターで発進せず、エンジンで発進したために最低限の耐久性しか備えていなかったクラッチが音を上げたのだ。ただし、たった1回のエンジン発進で音を上げてしまったのは疑問だ。

Kota Sera

ライター&エディター。レースだけでなく、テクノロジー、マーケティング、旅の視点でF1を観察。技術と開発に携わるエンジニアに着目し、モータースポーツとクルマも俯瞰する。

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