夏の終わり SUMMER IS PAST

人生の春の頃に芽生えた想いを、夏の時期が過ぎても人は持ち続けてしまうもの。しかし年齢と共にその気持ちを維持していくことがだんだんと難しくなってくる。


若い頃と同じやり方で、その想いにしがみ付かず、かといって手放すことなく、新たな人生の指針に変えることもできるはず。経験を重ねて、人として熟成してきた今こそ無意識のうちに培ってきたリアルな自分の想いに気付けるのだ。

夏の終わりは総じて寂しいものだが、次に来る秋という季節は収穫の時期でもある。


夏の終わり

 人生を変えるレースにする。

 本気でそう思い、勝てる車両を用意し、それをさらに強固なものにするためのスタッフとモノ、資金を整えて臨んだ今年のパイクスピーク。にもかかわらず結果はクラス5位、2輪部門19位、4輪も含めた総合順位は全98台中49位という内容に終わり、タイムに至っては前回より27秒も下回る11分25秒566・・・・・・と、どこをどう切り取っても理想には程遠い数字が並ぶことになった。

 今回に限ったことではないが、どんな結果にも必ずついてまわる「タラレバ」を挙げるならたくさんある。あるけれど、だからといって「次こそは!」というテンションでもない。なんと言うか「自分はそこに至っていなかったんだな」と、とてもフラットな気持ちで受け入れ、「それでもやれることはやったじゃないか」とサッパリしているのだ。意外なほどに。

 レースを終えてしばらく経った頃、「威儀を正す」という言葉を思い出していた。別に家訓というわけではないが、日常生活におけるすべての立ち居振る舞いを作法通りにこなす様やその時の心の持ち様を示したもので、歩くことにも止まることにも座ることにも寝ることにも決められた手順があり、それにきちんと従うこと。誰に見られるためでもなく自分で律して守ること。そうすれば自分の中に強固な気概や気骨が形作られること。なにかを成そうとする時、それらが指針になること。そういう意味合いのすべてが詰まっていた。その昔、なにかにつけて叩き込まれた言葉だ。

 それに照らし合わせるなら、今回の結果はどこかにほころびがあったのかもしれないし、もしなかったのなら自分の力量が勝つには及ばなかったというより他ない。だからこそ、なにのせいにするでもなく納得できているのだ。

 これまでの自分なら、あらゆるタラレバをかき集めて新たな挑戦のモチベーションに変えていた。いつも心の内にあったのは「次は上手くやれる」、「今度は大丈夫」という確信めいたもので、気持ちを切り換えて次に一歩踏み出そうとする時の拠りどころにしていたのだ。それでもなお上手くいかないことの方が多かったものの、ほとんど思い込みとも言える確信が途切れることも揺らぐこともなく、レースを続けるための糧になってきたのである。

 それが今、薄らいでいる。レースの辞め時や限界を感じていると言ってもよく、そんなことは今まで微塵も考えたことがなかったため、唐突な心境の変化に我ながら少し驚いている。バイクに乗り、原稿を書く。そういう仕事のほとんどすべてをレース参戦のための手段に変え、それを可能にする環境を作ってきたにもかかわらず、やけにあっさりと終わりの近づきを受け入れようとしているのだ。

 もともとレースはただただ楽しくて、漠然とした憧れに突き動かされて飛び込んだ世界だ。そこに明確な理由や動機があったわけではないから辞める時も案外そんなものなのかもしれない。さみしいとか、残念とか、まだやれるはずという後悔でもなく、かと言ってホッとしたとか、嬉しいとか、せいせいしたという見切りでもない。

 ひとつ言えるなら、飽きっぽい性分の自分がよくもまぁしつこく踏みとどまれたということだろう。初めてレースを知ったのは10歳。いつかサーキットを走ろうと夢見たのは15歳。そしてモータースポーツの入り口に立ったのが18歳。そうやって振り返れば、バイクという乗り物を通してずいぶん長く、楽しく、刺激的な時間の中に身を置いてこられたなぁ、と思う。今年45歳を迎える今の今までが、まるで終わらない夏休みのようでもあった。

 レースに出ること。特にそれまで勤めていた会社を辞めた’07年以降は、それありきの仕事であり、生活だった。正確に言えばそのためにフリーランスになることを選んだわけで、なにかにチャレンジするためといえば対外的な聞こえはいいものの、否応なしに巻き込まれた家族はたまったものではなかったはずだ。なぜならその当時、子どもはまだ3歳にもなっておらず、妻にとっての生活は育児そのもの。そんな時にチャレンジだの夢だの言われたところで、なんの栄養にも安らぎにもならないのだから無理もない。

 にもかかわらず、面と向かって応援はしないまでもなにも言わずに見ていてくれたことは本当に感謝している。幼かった娘は今では小学6年生になり、妻は変わらず子どものために余暇のほとんどを使いながらフルタイムでの会社勤めも続けてくれている。僕より少しばかり年上のため、五十路の声が聞こえる日もすぐそこだ。

 ふとそれを思った時、子どもとの密な時間がまだあるとすれば、それはあとどれくらいなのだろう。まだ体力が十分にあり、その気になればなんでもできた三十~四十代の時期を家事と仕事と育児に費やした妻にはこの後どんな人生の楽しみが残されているのだろう、と考えさせられ、胸がキュッと締めつけられた。

 僕の生活の中心がなんであれ、その土台を守っていてくれていたのは他でもない僕の妻だ。帰る場所があり、だからこそ自分の時間を自分の好きなように使えていたこと。そういうこれまでのわがままに対する「ごめんなさい」と「ありがとう」が急に押し寄せてきて、それもまた辞め時を模索している今の心境に少なからず影響している。

 今すぐやりたいことやいつか叶えたい夢。本当は誰もがそれを持っているはずなのに、ほとんどの人はそれに向かって動き出せなかったり、そのきっかけが掴めなかったりするままだ。そうでなければ時間はまだまだ残されていると思い、先送りしているか。

 ライダーという人種の多くが、そうでない人よりも感覚的に分かっていることがあるとすれば、時間には限りがあるということだろう。たとえば「死」という時間の停止。それはある日、唐突にライダーの残された時間を奪っていくが、いつ何時降りかかってくるかもしれないそのリスクを知っているからこそ、沸き起こる欲求を先送りせず、それに忠実であろうとする。

 そういう意味で僕は本当に幸せだ。マン島TTに鈴鹿8耐にパイクスピーク。そのいずれにおいても誇るような結果を残せていないものの、ひと昔前は夢物語だと思っていた舞台の数々を目指す機会に恵まれ、実際に立ち、しかも生きている。その上、言葉や文字でそれを表現できる場もあるのだから贅沢なことこの上ない。

 一方でいつまでもそこにいられないことも分かっている。だからこそ、その贅沢を今度は誰かに、とりわけ家族に分けてあげられるのなら僕の人生はほとんど完璧と言っていいだろう。先日、妻が何気ない会話の中で「私の人生は年齢を重ねれば重ねるほどよくなっていくんだって」とそんな風なことを言った。だとすれば、そのための土台を少しでも早く固めてあげるのがこれからの僕の役割に違いない。会話の最後に「あ、でも今が悪いってわけじゃないよ」とつけ加えることを忘れなかった妻。そんな気遣いに応えるためにも幸せな人生を送らせてあげたいと強く思ったのだ。

 夏の終わりというテーマにレースの引き際をなぞらえると、どうしてもある種のやるせなさやもの哀しさが漂いそうになる。とはいえ、もしレースに出なくなり、サーキットから足が遠ざかり、なんなら生活の糧が今の仕事でなくなったとしてもバイクには乗り続けているに違いない。接し方が少しずつ変わっていくだけだ。

 これまではエンジンをチューニングし、サスペンションのセッティングを繰り返し、車体姿勢を探り、タイヤテストに時間を割く。そんな風にタイムを短縮するという一点にのみ注力する極めてフィジカルな接し方だった。

 これからはそのバイクを眺めているだけで気持ちが穏やかになり、家族とのひと時を後回しにしてまでは乗らないけれど、そのぶんいつもよりちょっと早起きして磨き上げたり、時には旅をしてみたり。例えばそうやってゆっくりと心と時間が満たされていくメンタルな接し方が待っているのかもしれない。

 夏から秋へ季節が移ろうように、バイクに対する熱や距離感も乗り手の心模様とともに変わっていく。あるいは季節が一巡して再び夏がくるようにバイクに対するスタンスが昔と同じところに戻ってくることもあるかもしれない。そうやってバイクのある人生がこれからどんな風に変化していくのか。それを想像するのはとても楽しい。

 思っていたような方向ではなかったものの、そういう意味では今年のパイクスピークを終えたことによって少しずつ人生が変わりつつある。今はバイクとそれを取り巻く環境に思いを巡らせながら、次の一歩を踏み出す準備段階のようなものだろう。

いずれにしても、これからも様々な道を走り、そこで見たモノ、感じたコトを言葉に換えていく人生を送りたいと思う。それにはやはりバイクがいい。体いっぱいに空気を感じ、季節の狭間を自由に行き来できる乗り物だからこそ伝えられることあるのだ。

文・伊丹孝裕 写真・山下 剛


Takahiro Itami

1971年京都生まれ。2輪専門誌『クラブマン』の編集長を務めた後にフリーランスのモーターサイクルジャーナリストへ転向。レーシングライダーとしても活動し、これまでマン島TTや鈴鹿8時間耐久ロードレースを始めとする国内外のレースに参戦してきた。本文中にある通り、近年はアメリカ・コロラド州で開催されているパイクスピークにエントリー。これは現存するモータースポーツとしてはマン島TT(1907年~)、インディ500(1911年~)に継ぐ歴史を持ち、ゴール地点は標高4300mを超える高地を舞台に繰り広げられることから「The Race to the Clouds(雲へ向かうレース)」とも呼ばれている。競技方法はコース全長20km、コーナー数156ヶ所の山岳路を封鎖し、山頂のゴールに向かって一気に駆け上がるタイムアタック方式を採用。参戦3度目となる今年はハスクバーナ・701スーパーモトで出走し、ミドルウェイトクラス(501cc~750cc)において5位というリザルトを残している。

「特集 夏の終わり」の続きは本誌で

農耕民族の挑戦 吉田拓生

50代の扉 小沢コージ

夏の終わり 伊丹孝裕


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