欧州車って何だ。

「ヨーロッパのクルマは素晴らしい」「欧州車は日本車に比べて個性的だ」「日本の自動車メーカーは欧州メーカーを見習うべきだ」など、日本の自動車事情を語るときに必ず欧州車が出てくる。


欧州車は日本車に比べて何が良いのか。欧州車は本当に日本のクルマより素晴らしいのか。欧州に50年以上在住するカーデザイナー内田盾男さんのインタビューを交え、欧州車について改めて考えてみたい。


世界に誇るカーデザイナー内田盾男氏に聞く

 「彼は世界のトップデザイナーだよ」「あの人は言うなれば人間国宝よ」と、以前から話だけは聞いていた。

 そんな雲の上の人に、出張で飛んだイタリアのミラノで思いがけずお会いする機会に恵まれた。

 引き合わせてくれたのは松本 葉さんだ。一緒にお茶を飲み、食事をご馳走になった。
「もう一度お話を聞きたい。今度は内田さんの暮らすトリノへ行こう」そう思ったら、内田さんが日本へいらっしゃるという。そんな経緯で、今回のインタビューは実現した。

 日本を愛し、トリノを愛し、クルマを愛するカーデザイナー内田盾男氏のお話からは、欧州車の生まれてきた背景が見えてくるような気がする。
(若林葉子)

デザイナーの役割とは

― よく「これは誰々のデザインだ」と言いますが、何をどこまでやると「その人のデザイン」ということになるのでしょうか。

 デザインにはキースケッチみたいなものがありましてね。それは小さなスケッチなんだけど、こっちへ行こうかあっちへ行こうかといったときのひとつの旗のようなものです。それにいろんな人が竿をつけたり、色を塗ったりするんだけど、それがそのデザインのアイデンティティですね。

 例えばBMWではクリス・バングルが有名ですが、全部を彼ひとりでやったわけではありません。他にもデザイナーはたくさんいます。でもコンサートで言えば、彼が棒を振った。作曲したのは彼じゃないかもしれないけど、ある時期、デザインをある方向に導いたのは彼でしょう。BMWという巨大な船の進路をわずか5度でも変えさせたとすれば大したものです。

― デザイナーの力も大きいけれど、一人じゃできない。

 いいチームを作った方が勝ち、ということです。キースケッチを描いた人がそのクルマのデザイナーと言っていいと思いますが、ただし「これは俺がやった」なんて言いだしたら、それはもうその人の限界です。そこから上には行けません。エンジニアだってそうだけど、常に人の意見を聞いてああでもないこうでもないとやっている人の方が強い。自分を前に出さずに、デザインってこれくらいだよねって自覚しているくらいの方がいいんです。

― 内田さんは随分たくさんのクルマをデザインしてこられて、今も様々なメーカーと契約しておられると聞いていますが、自分がどのクルマをデザインしたということを一切おっしゃいませんね。

 それはね、やっぱりチームワークでおかげさまで生まれたクルマだという気持ちがあってね、変に謙遜してるんじゃなくて、本当にそうなんです。デザインなんて、人を楽しくするためだけにある。端的に言うとそれだけのこと。自分が自分がなんて言わない方がいいというのはそういうことなんです。

ミケロッティに見出されて

― 子供時代から家にクルマはありましたか?

 ええ。クルマ好きだった祖父の影響を受けて、父も若い頃はオースチン・セブンに乗ってたそうです。僕が子供の頃はフォードの47年型でした。戦後の日本が景気の良い時代。父は英語が堪能で、自動車のこともよく知っていたからチャンスに恵まれたんですね。

 幼稚園のとき、日本橋の三越にブリキでつくった小さなキャデラックが置いてあってね、それが欲しくて欲しくて、テコでも動かなかった。何が気に入ったかというと、ちゃんとステアリングが切れて、サスペンションが付いてたんです。それがすごく良いと思ってね。一方で子供の頃から絵も好きだった。いろんな賞をもらいました。成城に住んでいた森 英という画家の弟子にしてもらって、中学のときは絵描きになろうと思ってたんです。でも先生は「絵を描くのは楽しいけど、それを売るというのは大変なことだ。君は絵描きにはなるな」と何度もそう言ってました。それと模型を作るのも好きでしたね。指を3回くらい深く切っちゃって、一度は骨が見えるくらいまで切ってね。なんでも夢中になる性格なんです。

― クルマのデザインに興味を持つようになったのは?

 当時、僕は日本車の中に好きなクルマがなくて。例えばアルファロメオを見て、なんでイタリアのクルマはこんなにスリムにできるのか。それに比べて何で日本車はこうも分厚くて繊細さに欠けるんだ。と、ずっとそう思ってました。僕はもともと軽いものが好きだったんですね。軽いものがベストだと。それで、やっぱりクルマにはデザインが大事なんじゃないか、だんだんそう思うようになりました。高校生の頃のことです。

― そして大学生のときにジョバンニ・ミケロッティと会うんですね。

 日野自動車がデザインをミケロッティに依頼した「コンテッサ」の発表会に彼が来日し、父を通して会うことができたんです。そのとき彼はトヨタのクラウンを見て、「かっこいいクルマだ。フェンダーのプレスの技術が凄い。そのうち日本は自動車王国になるよ」とそう言ってました。日本は将来イタリアのいいお客さんになる、だから自分のところに一人くらい日本人がいてもいいんじゃないか、そう思ったんじゃないかな。それで僕にイタリアに来ないかと誘ってくれました。今思うと、彼は先見の明がありましたね。

― それでイタリアへ?

 当時、自動車のデザインを学ぶところというのは、ひょっとしたらあったのかも知れませんが、ちょっと見当がつかなかった。誰が何をデザインしてるかなんて全く分からなかった。そんな状況でミケロッティに声を掛けられたものだから、ただ「見てみたい」と、そう思ったんです。自分がデザイナーになろうなんて思ってたわけじゃありません。でも実際に行ってみたら、やっぱりなまなましくてね。ボディをこう、手で削っていくわけです。そしたらエンジンが出てきて、もうそこから下へは行けないぞ、みたいなね。なるほど、これなら薄くできるわけだ、と納得しました。理論もへったくれもなくて、感覚でやっているわけです。これは彫刻の伝統でもあるでしょうね。

― それから50年以上。カロッツェリアで、個人からのオーダーも含め、多くのクルマのデザインに関わって来られた。

 クルマってね、人間の着ている一番大きな洋服みたいなものでしょ? 家もそうだけど、家っていうのはもっといろんなややこしい条件があってね。クルマはものすごく純粋にその人のチョイスが目に見えますよね。だから、なかなか面白いものだと思います。

高級車とは

― 高級車の条件って何でしょうか。

 速いクルマが高級車。クルマというのは最後は速度です。どんな高いクルマも速くなければ高級車とは言えません。防弾仕様の軍用車は何億円もするけど高級車ではありません。自動車である以上走ってなんぼです。メルセデスのAMG、BMWの7シリーズ。どれも400馬力、500馬力あって時速300キロくらい出る。BMWの7シリーズなんて、0-100が4秒切るんですよ。ただ、日本でそういうことを言うと、「まだそんなことを言ってるのか」と笑われる。でも、自動車は家電ではないんです。コストを抑えて大量に作って、公害のない、問題の起きないクルマにしましょうと、そんなことばかりしていたら、やがて自動車メーカーはつぶれます。みんな中国に持っていかれてしまいます。日本の家電メーカーは実際そうでしょう。クルマって、もっと人間的なものです。人間的といったときのひとつがスピードとかデザインです。でもデザインも結果的にはスピードから来ているんです。V12を積んだBMWのM7を買う人はめったにいないでしょう。それでもそこがメーカーの腕のみせどころなわけです。

イタリアという国

― ヨーロッパはいまだにMTが大半を占めていますね。それほどにヨーロッパの人は運転が好きということなんでしょうか。

 ヨーロッパにMTが多いのは単に経済的な理由でしょう。

 ヨーロッパは依然、階級社会ですから、情報を持っている一握りの人たちがいて、自分たち以外には情報を出さないようにしているところがあります。

 そうではない多くの人たちと話していると、例えばトリノの人でミラノに行ったことがない人がいっぱいいる。なぜいかないの? と聞くと、「行く必要なんかない。なんで行かなきゃいけないんだ。トリノで十分だ。ましてや日本のことなんか知りたくもないよ」そういう人たちが多いんです。逆にちょっと気の利いた人になると、「東京のあそこのお店は美味しいよ」って、日本人より日本のことをよく知っていて、同じくらい世界のことも知っている。でもほんの一握りです。

 まだチンクエチェントがいっぱい走ってるのだって、安いから乗ってる。もちろん運転好き、チンクが好きっていう人もいますけどね。またほとんどの人は、ATの燃費がいいことは知っていて、でも壊れやすいとも聞いている。「乗ってみたら?」と勧めても、「あーいうアクセル踏むとフーッと余計な音がするクルマは気持ち悪い。体調が悪くなるといやだ」と乗らない。そういう人たちが昔、エアコンは具合が悪くなるからそれだけは止めてくれって言ってましたね。今はエアコンのないクルマなんてあるの? って言いますけど、つい最近までそうでした。だからATが燃費がよくて、下取り価格もいいんだってことになると、そういうひとたちはこぞってATに乗るようになるでしょう。「今どきMTなんてあるんですか」って。いずれ大きな流れで変わっていくと思います。

― 頑固なんでしょうか。

 そうですね。ただ、ミラノでは東京よりもずっと以前からプリウスのタクシーが走っていました。今は半分がプリウスです。あんなに頭の固いフィアットしか乗らない人たちが、と最初はびっくりしました。そういう意味では、良いと分かれば、他の国のものでも認める人たちです。むやみに足を引っ張らない。そういうのはいいですね。

 それに僕は「日本人だから」と言われたことは一度もないんです。ヨーロッパの中でも差別が少ない。イタリア人はコスモポリタンなんだと思います。

外から見た日本

― 内田さんの目には今の日本はどう映っていますか。

 僕が残念に思うのは、今の日本は、間違えちゃいけない。間違えないようなことをやってかなきゃいけないという空気があること。間違えてもいいように、全員に責任を分け与えて、それがシステムになってしまっている。昔は本田宗一郎さんみたいな英雄がいて、それを周りがちゃんと認めた。失敗を恐れず、結果に対して責任を取るぞという人がいっぱいいた。

 僕はよく「役員には今の10倍の報酬を払いなさい」と言います。年間、億ですね。で、駄目だったらクビにすればいい。能力があればもっとやらせればいい。その人は3年頑張ったら、あとは食べていけるわけです。日本は役員になっても食べていけないから、しがみつく。しがみつくから古くなって、自分の権力を残そうとするから弊害が出る。アメリカのIT企業なんかは若い人がいっぱい出てきて、 人間の交代がありますよね。ただアメリカとは違って、仲間内でもそれを許さないところに日本の難しさがある。

 それでも役員のような立場の人にはもっと思い切ったことをやってもらって、周りもそれを認めてあげないと駄目だと思いますね。

Tateo Uchida
1942年12月8日、東京生まれ。来日したジョバンニ・ミケロッティの誘いで1965年トリノに渡り、カロッツェリア・ミケロッティに入社。1970年には、若くしてチーフデザイナーとなる。その後、副社長となり、1988年に同じくトリノにデザイン・コンサルタント会社「フォルム」を設立。各国の自動車メーカーに生産車のデザインコンセプトの提案、原寸大モデルやスケールモデルの制作等、デザインの現場で活動を続けている。日本の自動車メーカーとの仕事も多く、日本とトリノを行き来している。自動車メーカートップとのパイプも太い。知る人ぞ知る、世界のトップデザイナーである。現在もイタリア、トリノ在住。

人もクルマも

― クルマはその国を映す鏡だと言いますが。

 僕は昔からイタリアのクルマが好きで、ドイツのクルマはあんまり好きじゃなかった。威厳があって肩張ってるようでね。7シリーズみたいなクルマを日本は追っかけない方がいい。ボルボみたいな方向で、なにか日本らしい色彩とか。なにも竹を貼れとか言ってるわけじゃないですよ。感覚的に上手にできることがあるんじゃないかと思うんです。と言っておきながらね、実は僕は北欧のデザインもあんまり好きじゃなくてね。なぜかっていうと、あたたかみが感じられない。北欧の家具って、すごく良くできていて、すごく良くデザインされていて、完成度も高くてかっこもいいけど、エラーがない。人間的な「やっちゃえー」とか「あー失敗したー」とかそういうのが少なくて、ドラマが感じられないから。

 僕はだいたいスイスとかベルギーとかちっちゃい国が苦手なんです。中産階級が強くて、こじんまりまとまっている。みんな夜カーテンを開けて、ピアノの上に人形が置いてあって、家族が仲良くしてるのが見えるようになってる。本当にそうなんですよ。イタリアみたいな国はとんでもない大金持ちも、どうしようもない貧乏人もいるけど、その分、高さというか幅や大きさがあって伸び伸びしている。僕だってたまには三ツ星レストランの最高級のワインも飲みたいけど、カップラーメンを食べたいときもある。人間って面白いもんでね。高級な服もいいけど、ひとつくらいユニクロ着てるのがいいわけ。アメリカや日本は意外とそれがある。ただ日本は、外から見てると、場所がすごく違う宇宙みたいなところにあって、世界から離れてる感じがする。ヨーロッパは一つ一つの国は大きくないけど、人間が住んでた歴史的な範囲としては大きい。

 いろんな社会、いろんな人がいた方がいい。クルマも、ひとつの方向じゃなくて、こういうのがあって、ああいうのがあってって、その方が面白い。

 それともうひとつ、クルマにも人間の覇気みたいなものがあってね。アメリカでいうと50~70年代までかな。ものすごく強かった人たちだから、「なんか文句あんのか」みたいな大変堂々としたクルマをつくってた。

 日本もバブルのときは良かったですね。自信があった。今の日本がみんな同じようなことをやってるのは、やっぱり日本に覇気がないんだと思います。最近の北京ショーなんかで、中国のクルマがどんどん良くなっているのは彼らの自信の表れですね。

これからのクルマ

― クルマは、鉄の箱にタイヤが4つ付いて、そういう意味ではもうずっと昔に完成していて、やり尽くした感がある。今の難しさはそこにある気がするのですが。

 確かにそういう観点で見れば、つまり機械的に見ればそうかもしれない。でもこれからだって人間の移動や移動手段はなにかの形で残るでしょう。それは通信の領域でもそうですね。初期の通信から固定電話、携帯電話へとどんどん変化してきたけど、会話の楽しさは残っている。人間的な観点で見ると、クルマだって同じで、そこには何かあるはずなんです。クルマという名前じゃないかもしれないけれどね。

 自動運転になったら必ずしもピラーを細くする必要もなくなって、曇りガラスの窓でもよくなるかもしれない。実際メルセデスはうまく時代を読んで、そういうショーカーを作っていました。

 これからは前席より後席の方が大事になるんじゃないか。向かい合わせもありなんじゃないか、と最近は我々もそんな議論もしています。いずれにしても、どんなに時代が変わっても、つまるところデザインは人を楽しくするためだけにある、そういうことです。

聞き手・若林葉子 写真・長谷川徹
撮影協力・GKダイナミックス


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