F1ジャーナリスト世良耕太の知られざるF1 Vol.57 最速タイム ≠ ワールドチャンピオン

 F1が世界最高峰のレースシリーズなのは、自他ともに認めるところだ。何が世界最高峰なのかといえば、マシンづくりに投入されている技術が常に最先端を行っており、「そこまでやる?」と、あっけにとられるようなレベルのオンパレードだからである。

 しかし、技術だけがF1のウリではない。F1にはマシン製作者の技術力を評価するコンストラクターズチャンピオンシップに加え、ドライバーの実力が世界一であることを讃えるドライバーズチャンピオンシップがかけられている。シーズンを通じて最も多くのポイントを稼いだドライバーには「ワールドチャンピオン」の称号が与えられる。

 14年に11勝してワールドチャンピオンの座を手に入れたのは、メルセデスAMGのL・ハミルトンだった。
’08年以来、6年ぶり2回目のタイトル獲得である。チームメイトであるN・ロズベルグの追撃を退け、最終戦でタイトル獲得を決めた。

 ロズベルグは年間5勝だった。ただし、ポールポジションはハミルトンの年間6回に対し、ロズベルグは11回獲得した。ポールポジションは勝利に最も近い位置のはずだが、ことロズベルグに関して、勝利は遠かった。レースになると、ハミルトンが背後からひたひたと迫ってプレッシャーを掛け、ときにロズベルグのミスを誘ったり、防御する暇を与えずに抜き去ったりした。「予選で速い」のと「レースで強い」のは別の資質を意味することを、ふたりは戦いを通じて教えてくれた。

 第12戦ベルギーでもポールポジションを奪ったのはロズベルグで、ハミルトンは予選2番手だった。だが、ロズベルグはスタートで失敗。ハミルトンが前に出た。引き離されてはかなわないとばかり、ロズベルグは2周目のストレートエンドで仕掛けた。が、接触。影響でハミルトン車の左リヤタイヤはパンクし、優勝の芽を摘む結果になった。以来、仲良しだったハミルトンとロズベルグの間に漂う空気は、それ以前とは異なるものになった。

 メルセデス勢が脱落したレースで優勝をさらったのは、新鋭のD・リカルド(レッドブル)だった。14年は19戦のうち16勝をハミルトンとロズベルグで分け合ったが、残りの3勝は並み居る強豪を押しのけ、リカルドが奪った。上位の脱落に助けられたケースもあったが、4年連続ワールドチャンピオンのチームメイト、S・ベッテルや、同じくチャンピオン経験者のF・アロンソと互角に渡り合う場面が目立った。

 息が詰まるような攻防を平然とやってのけるのが、世界一を目指すF1ドライバーというもの。それがなくなってしまえば、F1は魅力の大半を失ってしまう。技術のアピールも大切だが、もっとドライバーにスポットが当たっていい。

最終戦アブダビでポールポジションを奪ったのはロズベルグだったが、スタートで出遅れてしまい、ハミルトンのチャンピオン獲得を楽にした。ベルギーの一件以降、視線が交わることを避けているようにも見えたふたりだったが、レース終了後、ロズベルグはハミルトンのもとに駆けつけ、チャンピオン獲得を祝福した。戦い終われば「ノーサイド」である。’14年はマシンの性能差が大きく、ドライバーに実力があっても上位争いには結びつかなかった。ただし、ハイレベルのポジション争いは随所で見られた。

Kota Sera

ライター&エディター。レースだけでなく、テクノロジー、マーケティング、旅の視点でF1を観察。技術と開発に携わるエンジニアに着目し、モータースポーツとクルマも俯瞰する。

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