写真・桐島ローランド 聞き手・神尾 成(p30,31)
文・世良耕太(P26〜28)、横田和彦(P28,29)、佐々木牧子(P30,31)

オフは父の眼差し
佐藤琢磨 Takuma Sato「F1に対する夢は少年のころからずっと持っていたけど、それが明確な目標に変わるまでにはだいぶ時間が掛かりましたね。親父の仕事の関係もあって法律にも多少興味があったし、進学のときくらいかな、親に相談らしい相談をしたのは」。
佐藤琢磨選手は親と子の関係をそう振り返る。大学在学中は自転車部に所属し、競技活動に打ち込んだが、F1ドライバーになるという幼い頃の夢を捨てきれず、休学。本格的にモータースポーツ活動を始めたのが20歳になってからだから、過去も現在も物心付いた頃からステアリングを握っているのが当たり前のF1ドライバーのキャリアに照らし合わせて、多分に異色である。
「モータースポーツの世界に飛び込んでからも、両親はずっと遠くから見守ってくれました。自由に挑戦させてくれて本当に感謝しています」。
ヨーロッパに渡り、イギリスF3に参戦する頃(2000年)には、当時遠距離で交際していた夫人が心の支えになる。
「彼女の存在はとても大きかった。何でも相談に乗ってくれたし、イギリスに来てもらってからは、生活のすべての環境を整えてくれた。F3のときもF1に上がってからも、すべてのレースを一緒に回りました」。
生活が一変するのは2005年12月に「子供が生まれてから」だ。
「子供の誕生で何事にも代え難い感動を受けました。それ以前の自分は大人になっていたつもりでも、実はまだ子供で、どこかに甘えがあった。でも、子供が生まれてからは責任感も出てきたし、言動についてもより真剣に考えるようになりました。自分中心の生活から、今は完全に子供中心に変わりましたね。オフの日ははもう子供のことで精一杯。でもそれが精神的にとてもいい感じの緩みを与えてくれて、レースのある週末はとても集中できます」。
安全に暮らせる環境を次の世代に残していくにはどうしたらいいか。以前にも増してそんなことに目を向けるようになったのも、子供の誕生がきっかけだという。
「子供に添い、一緒に成長していきたいですね。そして親として、本人のやりたいことを最大限サポートしてあげたい。生活のルールなど守るべきことを守った上で、強制することなく、自由に考え、自由に行動できる環境をつくってあげたいですね」。
ヘルメットを脱いだ琢磨選手からやさしさがにじみ出ているとすればそれは、父親としての自覚と責任が肩に乗っているからだろう。
佐藤琢磨 Takuma Sato
1977年1月28日、東京都生まれ。20歳で「SRS-F(鈴鹿サーキット・レーシング・スクール・フォーミュラ)」を受講し、才能を開花させる。スカラシップ獲得後、全日本F3選手権を経て、1998年に渡英。イギリスF3、国際F3イベントで圧勝し、日本人初の海外F3チャンピオンに輝く。2002年F1デビュー。現在は「SUPER AGURI F1 TEAM」に所属している。