メルセデスは上がりのクルマなのか

文・山田弘樹

メルセデス・ベンツのプレステージ性をして、これを「上がりの1台」と例える人は多い。さらに理論を飛躍させれば「メルセデスを手に入れてしまったら、次がなくなってしまうから欲しくない」なんて言われることもある。

 メルセデスのステアリングを一度でも握り、本当にそう思ったならばそれはアナタの個性であり生き方だ。しかしただの食わず嫌いだけで語っているならば、「とにかく一度乗ってみればいい」と私は思う。

 突然だが私の母の実家は、静岡にある鰻屋だ。創業は安政三年というから歴史だけはそこそこ古い。だが大手のようにチェーン展開などはしていない、本当に小さな店である。

 鰻といえば秘伝のタレというヤツがある。先代が使い続けたものを継ぎ足し継ぎ足し、今日へとつなぐあれだ。実家の鰻屋も「かるみ」という味へのこだわりがあるから、そうしたタレを大切に使い続けている。

 背筋からさばいた鰻に串を打ち、白焼きして蒸す。タレを付け、再び焼く。その際に流れ落ちた鰻の旨みがタレへと染みこみ、表面に軽い脂を浮かせ歴史を作り上げて行く。たれ坪のへりにこびりつく砂糖醤油の焦げ跡が、どことなしに老舗の風情をかき立てる。

 しかしどうやらあれは幻想で、科学的に言うと昔の味を受け継げるものではないらしい。回転率の高い店ほどたれには対流が起こり、数ヶ月も経てばその中身は、新品に入れ替わってしまうというのであるから驚いた。

 ではなぜ事実として、昔ながらの味が受け継がれているのか? それはひとつに、作り手が伝統を受け継ぐ覚悟があるからではないだろうか。受け継いでいるのは昔ながらのたれそのものではなく、伝え聞かされた製法や姿勢なのだ。そして時代性や当代主人の気質によって、基本を同じくしながらもその味は、微妙に変化する。だからこそ、店というものが生き残ったり、潰れたりするのだろう。

 かつてメルセデスは80年代あたりまで、超高級車メーカーでありながら質実剛健だった。世界最古の自動車メーカーとして威厳を持ち、コスト度外視に「最善か無か」の1台を世に送り出してきた。幼き日の原体験が染みついているせいもあるが、私はこの頃のメルセデスの実直さが一番好きである。

 その一方でこの頃からメルセデスは時代を読みながら、生き残りを掛けてきた。

 ’82年には初のDセグメント「190E」を世に繰り出し、Cクラスの土壌を築いた。それまでなんとなく定着していたミディアムクラスを「Eクラス」として確率させ、中産階級の支持を得た。もちろん失敗もあり、AクラスやMクラスでは迷走した時期もあった。しかし諦めずに試行錯誤を繰り返し、最終的に若年層やリタイア層を獲得するに至った。

 昔を知る客というものは、得てしていいことばかりは言わない。慣れ親しんだ味の記憶を基礎として、ご意見番よろしく「先代の方が良かった」と悪態をつくのはよくあることだ。

 そういう目で見るとメルセデスもかなり変わった。もはや現行SクラスにはW116のようなどっしりしたステアフィールはなく、高速巡航で疲れさせないために、敢えて重く設えたアクセルペダルの踏み応えもない。

 しかし一見威厳を失ったかのように軽やかに回るステアリングはしっかりと路面をつかんでおり、リニアな身のこなしは乗り手にドライビングプレジャーを与えるまでになった。アダプティブ・クルーズ・コントロールへのアクセスは直感的で、これを試せばメルセデスならではの癒やしと安心が得られる。

 Sクラスに限らずAMG C63には恐ろしいまでのドライビングプレジャーの追求と、そのベースとなるCクラスの完成度の高さを感じ取ることができるし、Gクラスをあのままの姿で現代に生きながらえさせた執念などには、冷徹な仮面の後ろにクルマ好きの顔が見え隠れするような気持ちになる。

 もしメルセデスに問題があるとしたら、こうしたAMGの牧歌的な雰囲気や、クルマを愛する姿勢が見えにくいことかもしれない。そして日本の道路事情が、その魅力を引き出せないことだろう。メルセデスの美徳は、ドイツの超高速域でも揺るがない安心感。いや、それを超えて癒やしすら得られる部分にあり、だからこそ高価格帯でも、ユーザーが納得できるところにある。

 現代に生き残る老舗というものは、伝統を片輪にはめながら反対の車輪に革新や変化を携えて前に進んでいる。だからアナタがメルセデスの片側を見て〝上がり〟をイメージするのはもっともなことだ。しかしその反対側の一面を見ようとせず、選んだ先に退屈な日常が待っているとだけ思ったら、それはもったいない話である。

 メルセデスを手にした先には、今までとは少し違う世界が見えると私は思う。それでもアナタがメルセデスに退屈を感じてしまったら、とっとと乗り換えればいい。それこそ、まだまだ先があるってことになるじゃないか。


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