F1ジャーナリスト世良耕太の知られざるF1 PLUS vol.20 ドライバーズシートの決まり方

 ポルシェ919ハイブリッドの1号車に乗るマーク・ウェバーは、WEC第7戦富士6時間耐久レースの公式プログラムが始まる前日、2016年シーズン限りでの引退を発表した。

 わざわざ日本を引退発表の場に選んだわけではなく、引退後の身の振り方をポルシェ上層部と相談するうち、このタイミングになったということだ。

 「衰える前に現役を退くつもりでいた」と、8月に40歳になったウェバーは明かした。’94年に地元オーストラリアのフォーミュラ・フォードで本格的なレース人生をスタートさせたウェバーは、F3000を経て’02年にF1にステップアップ。’07年にレッドブルに移籍すると、’13年までに通算9勝を挙げた。フォーミュラへのこだわりが強かったウェバーはそのまま引退することも考えたが、「ポルシェからの誘いだったから」と、現役続行を決めた。ル・マンの優勝ドライバーにはなれなかったが、’15年はドライバーズタイトルを獲得している。

 自分のことだけを考えればいいフォーミュラと異なり、耐久レースはコンビを組むドライバーとのチームワークが重要になる。そのことがベテランのウェバーには徐々に重荷になったようだ。また、連続30時間におよぶ長時間のテストや過密なプロモーション活動の遂行も、体力的・精神的に厳しく感じるようになったという。

 いずれにしても、ウェバーは引き際を自分で決めることができた。F1第14戦イタリアGPでは、マクラーレン・ホンダのJ・バトンが「’17年シーズンは休養する」と発表した。替わってリザーブドライバーのS・バンドーンがレースドライバーに昇格する。伏線はバトンが休養宣言をする2日前にあった。ウイリアムズのF・マッサが今季限りで引退すると発表したのだ。

 有力チームのシートが空くと、玉突き現象的にドライバーの移籍発表が行われるのがF1の常だ。マッサが抜けたウイリアムズには、バトンの移籍が有力視されていた。手持ちの若手ドライバーをレギュラードライバーに昇格させたいが、十分に実力のあるバトンを競合チームに渡したくないマクラーレンは、’18年の現役復帰に含みを持たせた契約でバトンを縛ることにしたのだ。休養するバトンはアンバサダーの肩書きを得て’17年シーズンを過ごすことになる。もちろん、契約などあってないF1のこと、バトンが’18年に現役復帰できる保証はどこにもない。しかしバトンにとれば、条件を飲む以外に選択肢はなかったのだろう。

 マッサは自分の意思でチームに契約を更新しない旨を伝えた。引退発表の場をイタリアGPにしたのは、フェラーリでコンビを組んだM・シューマッハがやはり、イタリアで引退発表を行ったからだった。「彼が引退を決めたおかげで、僕はフェラーリに残ることができた」とマッサは言った。自分が抜けることで誰かのチャンスになる。それを知っているからこその決断だった。

WEC富士6時間では、小林可夢偉が運転するトヨタ6号車(写真)が、アウディ8号車の猛追をしのいでフィニッシュ。WEC移籍後の初優勝を果たした。終盤の激しい攻防は、ザウバーでバトンを押さえきって3位に入り、表彰台に上がった
’12年のF1日本GPを連想させた。4秒差の2位はフェラーリ時代のマッサだった。そのマッサは’17年もレース活動を続ける意思を表明しており、WECを候補のひとつに挙げている。

Kota Sera

ライター&エディター。レースだけでなく、テクノロジー、マーケティング、旅の視点でF1を観察。技術と開発に携わるエンジニアに着目し、モータースポーツとクルマも俯瞰する。

定期購読はFujisanで