なぜ私はSUZUKIなのか Vol.2 スズキという魔界

GSR750は改造してくれと言わんばかりの「余地」をどう楽しむかがポイントだと思う。このマシンは、テクニカルガレージRUNのカスタムメニューで、K-FACTORYのフルエキゾーストと精密ビレットパーツで着飾っている。(大鶴義丹)

 バイク乗りだけのスラングだが、スズキのバイクでないと気持ちが燃えないバイク乗りのことを「スズ菌感染者」と言う。そしてバイク乗りの中でも特殊な一派だと、羨望と異形の混沌とした視線を受けている。

 この比喩は株式会社スズキとしては非常に迷惑な話だと思うが、私は勇気を持って、素晴らしいことなんですよと言いたい。

 まるっきり似たような称号を得ているクルマ会社がもう一つある。それはのポルシェだ。ポルシェに乗ることでしか燃えなくなってしまう輩を「ポルシェ・パラノイア」という。

 「菌」と「パラノイア」正直言ってどちらもあまり良い言葉ではない。両方とも放送しにくい言葉でもある。

 私の知る限りであるが、乗り物メーカーで、その乗り物が好きな者をここまで強烈に表現しているのはこの2社だけではないだろうか。上品なところではフェラーリ好きを「フェラリスタ」などとも言うが、こちらは優雅な雰囲気そのままの表現なので除外する。

 「スズキのバイクとポルシェ」

 縁もゆかりもない2社であるが、乗り物マニア的な見方をすると、その2社に通じるものはデザインだ。スズキとポルシェのどこが似ているかと言うと、デザイン的にはもちろん全く似ていない。それぞれのお客が求めるセンスもまったく違うだろう。

 しかし両者に強く流れるものは同じはずだ。それはデザインありきではなく、性能ありき、男ための男によるデザイン。その激しいまでの独尊さが私たちマニア男子の心を掴んで離さない。

 ポルシェ好きな女性が多いと異議を唱える方も多いであろう。しかしそれは間違いで、女性たちによくよく聞くとポルシェの「カエル顔」をイタリアンカーのように心の底から美しいと思う女性は少ない。ポルシェのデザインが好きなのではなく、ポルシェが象徴する富や権力、ポルシェオーナーが金持ちだから好きなのだ。

 スズキのバイクも昔から決して洗練されたデザインとは言えない。ではそんなバイクに何故ゆえに特に濃いバイクマニアが反応するのか。

 それはやはり性能しか考えていない姿勢だ。レースで勝つことが最優先で、デザインは後回しだとでも言わんばかりの独尊さに私たち「スズ菌感染者」は反応してしまう。

 ある種、軍事兵器にも共通する使用目的最優先主義から生まれる「厳めしさ」だ。また、それを理解しているという自分も含めて、その存在に惹かれてしまうのだ。

 スズキのバイクに乗っていると言うと、不思議な顔をされることが多い。芸能人ならハーレーでしょうと言われることもある。

 そういうことを言われると私は嬉しくて仕方がない。彼らと私の間にある溝の深さに触れると興奮する。

 世の中はそんな奴らがほとんどだからこそ、スズキに乗ることが正しく美しいことだといつも再確認する。

文・大鶴義丹

Gitan Ohtsuru

1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る“熱き”バイク乗りである。四捨五入で50歳になるのを前に、20年ぶりにオフロードバイクに復帰、最近は林道での走りに没頭している。本人によるブログ「不思議の毎日」(ameblo.jp/gitan1968)では、その日常が垣間覗ける。

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