おしゃべりなクルマたち Vol.72 神様のお導き

 すでにご存知の読者もおられるだろうが、このコラムの担当編集者、若林葉子さんが、次回のダカールラリーにナビゲーターとして参戦することになった。久しぶりに聞いたビッグニュース。

 このラリーは創設者がフランス人だったこともあり、当地ではものすごくポピュラーでプレステージの高いモータースポーツ。それもあって我が家では彼女のことを知らぬ息子まで「スゲえ、スゲえ」を連発して興奮し、日の丸を持って見送りに行った方がいいのではないか、そんな話まで出ている。

 参戦を聞いたのは公式発表の少し前のことだった。「タイヘンなことを引き受けてしまった」、そんなメールが本人から届いた。彼女はモンゴルラリーではすでにクラス優勝を果たしている。そういう意味では今回、ナビゲーターに誘われたのはこれまでの成果が認められてのこと、ラリーの階段を一段ずつ上がっていったら、次のステップはダカールラリーだった。「ほほお、神様はここに導くつもりでおられたのか」、これが私の感想だが、本人はこんな展開になるとは想像だにしなかったようで、目の前に現れるステップをクリアすることに全神経を集中させていたら、突如、大物が現れて仰天した、そんな様子が可笑しかった。

 彼女はラリーやクルマが好きでこの世界に入ったわけではない。ほとんど偶然のようにして足を踏み入れた。気づいたら回りはエンスーとプロ(の男)だらけで焦った、そんな話を聞いた覚えがある。彼女は走るクルマの中でも編み物が出来るそうだから、もともとナビの資質に恵まれているのだろう。それでも、だから最初からナビを目指したというわけではないと思う。彼女は想いも寄らぬ仕事について、自分の居場所を探した。それがラリーだった。ラリーを通して仕事を好きになろうと思ったのではないか。私はここに感動する。男は好きなことには爆進するが、興味のないことには無頓着だ。奥さんが洋裁が好きでも、だったら俺もいっぺんミシン、踏んでみようかと考える男を私は知らない。女は初めての世界に柔軟で、興味のないことにも興味を見出そうとする。こういうしなやかさが彼女の中に見える。

 彼女に参戦を聞いて最初に浮かんだのは、当地で知り合った戦争難民が聞かせてくれた話だった。彼は故郷を出るときかき集めた持ち物を、生死をかけた長い旅をするうち、ほとんどなくしたそうだ。「親の写真もどっか行っちゃったんですよ」 それでも、これだけは無くしたくなかった、こう言って彼が見せてくれたのはセナの写真だった。といっても彼はセナのファンでもモータースポーツが好きというわけでもない。それどころかレースなど見たこともない。「最新マシンで走る世界がこの世に在ることが自分に勇気を与えてくれるのだ」、彼はこう言った。私はラリーのことを何も知らない。どれくらい難しいことをするのか、想像もつかない。それでも、青年の言葉を借りるなら、自分の知らぬ世界に身内のように思う知り合いが出掛けていくことに私は勇気をもらう。だから今回の出来事が嬉しくてたまらない。

文・松本 葉
イラスト・武政 諒
提供・ピアッジオ グループ ジャパン

Yo Matsumoto

コラムニスト。鎌倉生まれ鎌倉育ち。『NAVI』(二玄社)の編集者を経て、80年代の終わりに、単身イタリアへ渡る。イタリア在住中に、クルマのデザイナーであるご主人と出会い、現在は南仏で、一男一女の子育てと執筆活動に勤しんでいる。著書:『愛しのティーナ』『どこにいたってフツウの生活』(二玄社)など。

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