違いの分かる男の現在いま 由良拓也はなぜモチベーションが途切れないのか

 「オスプレイが近くに来てるっていうから、今朝見に行ってきたんだよ。ほらコレ!」

 由良拓也さんは、そう言うと嬉しそうにスマホの画面をこちらに向けた。写っていたのは、着陸したオスプレイの画像。プロペラ部分が折り畳めるようになっていること、20人は乗れること、クルマだって運べることなど、しきりに感心した様子。世間の議論はさておき、乗り物として純粋に面白がっているのだなということが表情からも伝わってくる。初めてスポーツカーを目にしたかつての少年たちも、きっとこんな風だったに違いない。

 こういう人のことを、少年の心を持った大人、というのだろうか。

 空力を味方に数々の栄光を手にしたレーシングカーデザイナーであり、60歳を超えた今も日本のモータースポーツシーンの第一線で活躍し続ける由良拓也さん。業界の著名な方たちの過去を紐解くと、乗り物や機械、工作好きな少年だった、というのはよく聞くが、由良さんの場合それ以上に家庭環境が大きく影響したという。

 「父親が工業デザイナーで、新しい物が大好き。テレビが白黒からカラーになるような文明の進歩が著しい時代に、その時代の新商品を次々と買ってくるような家でした。物心がついた時にはクルマがあって母親もルノー4CVだったかな。運転していましたね」

 まだクルマを持つことが一般的ではなく女性ドライバーというだけで目立つ時代だから、由良家がいかに先進的だったかよく分かる。

 20歳前から、目黒区にある柿の木坂の工房にはサーキットでしかお目にかかれないようなクルマ(ポルシェ910)があり、近所の子どもたちが見学に来るほどだった。

 その中の子どもの一人が、この日取材に同席したエンジン保護剤「マイクロロン」を扱う協和興材の吉田営業部長だ。マイクロロンと言えば、由良さんが昔の愛車コブラで劇的な変化を体験して以来、20年以上もの付き合いが続く。吉田さんとの縁はさらに長いわけだが「僕がマイクロロンを使い続けているのは、試してみて本当にいいと思ったから。僕たちの長年の信頼関係が崩れないような商品で本当に良かったね」と吉田さんに笑い掛けた。

 話を戻そう。羨ましいくらい時代を彩るモノに恵まれて育った由良さんだが、新しいものをただ漫然と享受し過ごしていたわけではなかったと思う。生来、好奇心旺盛だった少年は、最新のモノに囲まれながら、中に潜む作り手の苦労や想いといったストーリーを読み解く力や感性を磨いていったようだ。

 例えばテレビでスーパーGTなどのレース解説を行う時、ピット取材時には自ら進んで地面に這いつくばる。大御所と言われる立場でありながら何をしているのかと言えば、マシンの下の構造を覗いているのだ。その理由は実にシンプルで「僕もこの分野の現役ですから、速く走るための構造に単純に興味津々なんです」

 ル・マン24時間レースの現地取材では、企業スパイと間違われたというエピソードからも、解説のための事前リサーチ=努力というより、知りたいというピュアな心が勝る人となりがうかがい知れる。

 また、あるレースを解説中のこと。前を走るマシンが後続車に追突され、リヤが派手に壊れてしまった。誰もが壊れたマシンを心配しそうなものだが、由良さんは一見外観のキレイな後続車こそ「受けたダメージは大きいはず」と予言。その言葉通り、ペースをガクンと落としたのは追突した側のマシンだった。

 「現場でマシンを見ているとね、なるほど苦労しただろうなとか、ここは開発途中だなとか、ペーパー資料じゃ分からない作り手の考えにアンテナが向く。そういう引き出しがあるから、見えない可能性も想像できるんです」

 モノから作り手の心に迫ることを、心底楽しめる感性と力があるから、世間の評価に流されず物事の本質を見抜けるのだろう。

 「2台持っているんだけど、もう1台ほしいなぁ」と言うほどハマっている初代インサイトもその一つだ。世間一般ではイマイチ評価が低く、中古車相場も高くないクルマをどうして? と思うが、違いが分かる男には分かるらしい。

 「マクラーレンの横でオーバーホールしていると『どっちのパーツだったっけ?』と迷うほど凄くいい部品を使ってるんですよ。ひとつひとつが、エコカーなのに過剰なくらいスポーツ性を追い求めている。デザイナーがいい意味で調子に乗って好き勝手やらせてもらってるのが伝わってくるんだよね」と、たまらなさそうな表情で教えてくれた。

 由良さんの途切れない好奇心の源は、「好きなことをやっているだけだから」との返事を額面通りに受け止めるのも違う気がするし、冒頭の少年の心を持った大人、というヤワな表現も当てはまりそうにない。

 なぜなら自分の好奇心という物差しを信じる一方で、それに伴うリスクも引き受けながら生きることを選んできた人だからだ。24歳でカーデザイン製作会社を立ち上げ、国内外で高い評価を受けながら今に至る軌跡が、それを表している。

 「意識はしていないけど、言われてみれば好奇心を核に仕事が回っているかも」という生き方こそ、今なお大好きな分野の第一線で闘い続けていることにつながっているのだろう。

文・村上智子 写真・渕本智信

Takuya Yura

10代の頃からレーシングカー製作に携わり、1975年に24歳でカーデザイン製作会社「ムーンクラフト」を立ち上げる。その作品は「彼には空気が見える」と言われるほどエアロダイナミクスの完成が高く、富士グランチャンピオンレースやル・マン24時間レースなど国内外のレースで数多くの実績を挙げた。今も現役で、レーシングカーのデザイン・開発やレース解説などモータースポーツの第一線で活躍している。現在、来年のスーパーGT(GT300)に参戦するロータス・エヴォーラをベースとしたマシンを開発中。
ムーンクラフトでは、レーシングカー以外にも数々の乗り物をデザインしている。写真の折り畳み自転車はフレームにアルミ押出形材を使い、軽さを生かしつつも剛性・耐久性のあるプロダクトに仕上げている。

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